F1トルコGP名場面5選 2027年復帰で蘇るイスタンブールの記憶

トルコGPはこれまで9回しか開催されていないが、その歴史には強烈な記憶が数多く刻まれている。チームメイト同士の接触、タイトル争いを左右したパンク、雨の中での王座決定など、イスタンブールは短い開催歴以上に濃い瞬間を残してきた。
レッドブルの同士討ち ウェバーとベッテルが接触
トルコGPは2005年にF1カレンダーへ加わったが、とりわけ記憶に残る一戦となったのが2010年のレースだった。
当時、レッドブルのチームメイトだったマーク・ウェバーとセバスチャン・ベッテルはタイトルを争っており、イスタンブール入りの時点で同点に並んでいた。予選ではウェバーがポールポジションを獲得し、スタート後もルイス・ハミルトンを抑えて首位を守った。
しかし、ハミルトンが遅いピットストップで後退すると、ベッテルが2番手に浮上して攻撃に転じる。ベッテルはストレートでチームメイトに仕掛けたが、コーナーに到達するかなり前に2台は接触。ベッテルはリアタイヤのパンクでスピンし、レースを失った。
「家に帰る。くそったれ」とベッテルはクラッシュ後、チームメイトに向けてジェスチャーを交えながら激しい無線を飛ばした。
この接触の責任がどちらにあったのかは、今なおファンの間で議論されている。オンボード映像では両者がわずかに互いへ寄っているようにも見えた。多くの見方はベッテル側にやや大きな責任があるというものだったが、レッドブルのヘルムート・マルコはウェバーを責める姿勢がより強かった。
最終的に最後に笑ったのはベッテルだった。この年、ベッテルはレッドブルで自身初のドライバーズタイトルを獲得し、その後4連覇へとつなげた。

マクラーレンでも勃発したチームメイト対決
2010年トルコGPは、レッドブル同士の接触だけでは終わらなかった。ジェンソン・バトンとルイス・ハミルトンも、同じレースで激しいバトルを演じた。
レッドブル勢の接触後、マクラーレンの2台は1-2体制となり、ハミルトンがバトンをリードしていた。2人には燃料を節約するためにペースを落とすよう指示が出されたが、重要だったのは、バトンには目標ラップタイムが伝えられていなかったことだった。
そのためバトンは、チームメイトを攻めてもよいと判断し、首位のハミルトンに仕掛けた。
「僕がペースを落としたら、ジェンソンは僕を抜くのか、抜かないのか?」とハミルトンは無線で尋ねた。そして、その答えはすぐに出た。2台はサイド・バイ・サイドとなり、バトンが最終コーナーで前に出た。
しかしハミルトンはメインストレートでスリップストリームを使って抜き返し、そのまま首位を守ってトルコで自身初勝利を挙げた。

ハミルトンを襲った2007年のタイヤトラブル
2007年、ルイス・ハミルトンは印象的なデビューシーズンを送っていた。最終戦までタイトル争いを続け、2度のワールドチャンピオンであるフェルナンド・アロンソとも真っ向から争っていた。
チャンピオンシップ首位としてトルコに乗り込んだハミルトンは、チームメイトのアロンソを予選で上回った。しかし、イスタンブール・パークで強さを見せたフェラーリ勢には対抗できなかった。
それでもハミルトンは表彰台圏内を走行しており、このままならリードを広げられる状況だった。だが、パンクがレースを大きく狂わせた。ハミルトンはなんとかピットへ戻り、ポイント圏内で完走したものの、このトラブルによってアロンソに先行を許し、チャンピオンシップでのリードを削られることになった。
2007年のタイトル争いには多くの分岐点があったが、トルコGPは間違いなくそのひとつだった。

2006年タイトル争い アロンソとシューマッハの僅差バトル
2006年のトルコGPでも、フェルナンド・アロンソは主役のひとりだった。この年、アロンソはミハエル・シューマッハとタイトルを争っていた。
レースではフェリペ・マッサが勝利を飾ったが、その後方でアロンソとシューマッハは表彰台をかけて激しく争っていた。マッサが勝利へ向けて独走する一方、アロンソとシューマッハはポイントをめぐってはるかに厳しい戦いを強いられていた。
アロンソは前を走っていたが苦しい状態で、シューマッハはルノーの背後にぴったりと迫っていた。しかし、ドイツの偉大な王者は抜くことができなかった。アロンソは何度も扉を閉ざし、最後までポジションを守り続けた。
最終コーナーを抜けると、シューマッハは横に並びかけ、フィニッシュラインまでのドラッグレースとなった。それでもアロンソはわずかな差で2位を守り切った。

ハミルトンが史上最多タイの7度目王座を決めた2020年
トルコGPは2020年、新型コロナウイルスのパンデミックによって大きく組み替えられたカレンダーの一部として復活した。2011年以来となるイスタンブール・パークへの帰還を、ルイス・ハミルトンは特別な記憶として残すことになった。
ハミルトンは史上最多タイとなる7度目のワールドチャンピオン獲得を目指していたが、スタート位置は6番手だった。ポールポジションはランス・ストロールで、キャリア初のポールだった。
レースはウエットコンディションで始まり、混乱した展開となったが、ハミルトンはそこから順位を上げていった。多くのマシンがスピンするなかでミスを避け、ほとんどのドライバーが2回ピットストップを行うなか、ハミルトンは1ストップで走り切った。
摩耗したインターミディエイトタイヤを最後まで持たせ、勝利とチャンピオンシップの両方を手にした。
一方、チームメイトでありタイトル争いの相手でもあったバルテリ・ボッタスは、6度のスピンを喫する悪夢のような午後を過ごした。それは、イスタンブールのコンディションがいかに難しかったかを示すものでもあった。
長くレースをリードしていたストロールにとっては、追加のピットストップを強いられて順位を落とした原因がマシンダメージだったことを考えれば、不運な面もあった。それでも最後に否定できなかったのは、ハミルトンの強さだった。トルコGPは、ハミルトンの最も有名なドライブのひとつとして記憶されることになった。
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