レッドブルがF1初優勝を飾った2009年中国GP / F1回顧録
レッドブル・レーシングの成功の始まりとなった2009年のF1世界選手権 第3戦 F中国GPの思い出をチーム代表のクリスチャン・ホーナーが振り返った。
それは絶対に不可能だと思っていた高い壁を遂に乗り越えた時に味わう未知の感覚なのかもしれないし、長年積んできた努力が遂に実を結んだという大きな満足感なのかもしれない。それとも、耐えがたい緊張を伴う戦いを制した瞬間に爆発する圧倒的な喜びなのかもしれない。
何であろうと、ライバルよりも先にフィニッシュラインを越えた瞬間、レース初優勝を決めた瞬間に得た感情を再現することはできない。
レッドブル・レーシングがその感情を味わったのは2009年4月だった。
チームは下馬評を覆し、メカニカルトラブル、執拗な雨、想定外の戦術、そしてさらにはレース自体を台無しにしてしまう可能性もあったレース中盤のアクシデントを乗り越えてF1初優勝だけではなくワンツーフィニッシュも掴み取り、チームをさらに羽ばたかせるための道筋を作った。
記念すべきF1初優勝が記録された2009年 F1中国GPを、チーム代表のクリスチャン・ホーナーが振り返った。
2009年 F1中国GPでの初優勝はすでに10年以上前の話になりますが、今も覚えていることはありますか?
私たちのマシンが1位でフィニッシュラインを通過した瞬間、チェッカーフラッグを誰よりも先に受けた瞬間を今も覚えているし、チーム全員の歓喜の表情も覚えている。チーム全体にとって本当に素晴らしい瞬間だった。初優勝だけではなくワンツーフィニッシュも決めることができた。チームにとって最高の1日だった。
ですが、実際は苦労の末の優勝でした。セバスチャン・ベッテルが予選Q3で素晴らしいラップを記録して優勝確率を大きく高めましたが、ベッテルが予選で大失敗する可能性もありましたよね?
予選中に問題が発生した。セバスチャンのドライブシャフトブーツが割れてオイルや等速ジョイント用グリースが流れ出してしまい、ギアボックスがダメになりそうだった。これが原因で、セバスチャンはQ2とQ3をワンラップしか走ることができなかった。
時間と共に流出量が増えてきたので、セバスチャンは徐々にスピードを落とさなければならなかったが、その中でもポールポジションを獲得した。あれは凄かった。
日曜日の朝、ホテルのカーテンを開けると大雨だった。決勝はセーフティーカー先導でスタートし、レース中盤のセーフティーカーのうしろでセバスチャンはセバスチャン・ブエミに追突されてあわやリタイアのシーンもあった。そういう意味で、あの日は我々に多少の運があった。
セバスチャンがドライブを続け、マークと一緒にワンツーフィニッシュを決めるのを見届けた瞬間は本当に最高だった。
表彰台に上がってコンストラクターズトロフィーを受け取った瞬間を覚えていますか?
もちろんだ。コンストラクターズトロフィーを受け取って頭上に掲げたのはとても大きな瞬間だった。トロフィーの持ち手が片方壊れていたがね!
表彰台から見下ろして、チームの喜んでいる様子、ヘルムート(マルコ)が泣きそうな顔をしている様子を見た瞬間、チーム全員の顔を眺めて彼らが自分たちの成し遂げたことに誇りを感じている様子を見た瞬間は、とても強く印象に残っている。
初優勝の喜びはいつまで続いたのでしょう?
中国GPの翌週がバーレーンGPだった。バーレーンに乗り継ぐためのドバイ行きの飛行機の機内で、まだシャンパンの匂いがするなと思ったことを覚えている。本当に素晴らしい瞬間だった。F1の勝者になった感覚は本当に最高で、この感覚をキャリアを通じて何回も味わう必要があると思ったことも覚えている。
2009年シーズンはブラウンGPがマルチディフューザー搭載マシンでスタートダッシュに成功しましたが、レギュレーションの穴を突く形となった彼らに対しては新レギュレーション導入というアイディアを根本から否定しているという意見もありました。シングルディフューザーだったレッドブル・レーシングとしては、中国GPの優勝はひときわ嬉しいものだったのではないでしょうか?
大きな意味を持つ優勝だった。当時のF1に関する話題はマルチディフューザー一色だったからだ。実際、エイドリアン(ニューウェイ)は中国GPに帯同していなかった。英国でモナコGPでデビューさせる予定だったマルチディフューザーの開発に取り組んでいたからだ。
当時の私たちはここにかなり振り回されていて、F1全体の政治にも振り回されたが、中国GPの優勝で落ち着くことができた。そのあと、ドライのイギリスGPで2勝目を挙げることができた。
初勝利が一番難しく、初勝利さえできればあとは楽だと言われていますが、中国GPでの初優勝がワールドチャンピオンへの道を切り拓いたと思いますか?
そう思う。閃きの瞬間だった。壁を突破することができた。しかし、2009年シーズンはレース数が足りなかった。2009年シーズンは全17戦だったので、ブラウンGPとジェンソン・バトンに追いつき、ワールドチャンピオンになるにはレース数が足りなかった。
しかし、我々は2010年シーズンに初のワールドタイトルを獲得し、誰もが知っている通り、2011年シーズンから2013年シーズンまで防衛に成功した。2009年 F1中国GPは大きな成功に続くスタート地点になったと思う。
今もチームにとって上海インターナショナル・サーキットは愛すべき思い出のサーキットなのでしょうか?
チーム全員が上海インターナショナル・サーキットを特別なサーキットに感じている。幸運なことに、2018年シーズンにはダニエル・リカルドが優勝して通算2勝目を挙げることもできた。
このサーキットではいくつかの酷いレースも経験しているが、チームにとってスペシャルなサーキットであることに変わりはない。なぜなら、初優勝を記録したサーキットだからだ。
カテゴリー: F1 / レッドブル・レーシング
それは絶対に不可能だと思っていた高い壁を遂に乗り越えた時に味わう未知の感覚なのかもしれないし、長年積んできた努力が遂に実を結んだという大きな満足感なのかもしれない。それとも、耐えがたい緊張を伴う戦いを制した瞬間に爆発する圧倒的な喜びなのかもしれない。
何であろうと、ライバルよりも先にフィニッシュラインを越えた瞬間、レース初優勝を決めた瞬間に得た感情を再現することはできない。
レッドブル・レーシングがその感情を味わったのは2009年4月だった。
チームは下馬評を覆し、メカニカルトラブル、執拗な雨、想定外の戦術、そしてさらにはレース自体を台無しにしてしまう可能性もあったレース中盤のアクシデントを乗り越えてF1初優勝だけではなくワンツーフィニッシュも掴み取り、チームをさらに羽ばたかせるための道筋を作った。
記念すべきF1初優勝が記録された2009年 F1中国GPを、チーム代表のクリスチャン・ホーナーが振り返った。
2009年 F1中国GPでの初優勝はすでに10年以上前の話になりますが、今も覚えていることはありますか?
私たちのマシンが1位でフィニッシュラインを通過した瞬間、チェッカーフラッグを誰よりも先に受けた瞬間を今も覚えているし、チーム全員の歓喜の表情も覚えている。チーム全体にとって本当に素晴らしい瞬間だった。初優勝だけではなくワンツーフィニッシュも決めることができた。チームにとって最高の1日だった。
ですが、実際は苦労の末の優勝でした。セバスチャン・ベッテルが予選Q3で素晴らしいラップを記録して優勝確率を大きく高めましたが、ベッテルが予選で大失敗する可能性もありましたよね?
予選中に問題が発生した。セバスチャンのドライブシャフトブーツが割れてオイルや等速ジョイント用グリースが流れ出してしまい、ギアボックスがダメになりそうだった。これが原因で、セバスチャンはQ2とQ3をワンラップしか走ることができなかった。
時間と共に流出量が増えてきたので、セバスチャンは徐々にスピードを落とさなければならなかったが、その中でもポールポジションを獲得した。あれは凄かった。
日曜日の朝、ホテルのカーテンを開けると大雨だった。決勝はセーフティーカー先導でスタートし、レース中盤のセーフティーカーのうしろでセバスチャンはセバスチャン・ブエミに追突されてあわやリタイアのシーンもあった。そういう意味で、あの日は我々に多少の運があった。
セバスチャンがドライブを続け、マークと一緒にワンツーフィニッシュを決めるのを見届けた瞬間は本当に最高だった。
表彰台に上がってコンストラクターズトロフィーを受け取った瞬間を覚えていますか?
もちろんだ。コンストラクターズトロフィーを受け取って頭上に掲げたのはとても大きな瞬間だった。トロフィーの持ち手が片方壊れていたがね!
表彰台から見下ろして、チームの喜んでいる様子、ヘルムート(マルコ)が泣きそうな顔をしている様子を見た瞬間、チーム全員の顔を眺めて彼らが自分たちの成し遂げたことに誇りを感じている様子を見た瞬間は、とても強く印象に残っている。
初優勝の喜びはいつまで続いたのでしょう?
中国GPの翌週がバーレーンGPだった。バーレーンに乗り継ぐためのドバイ行きの飛行機の機内で、まだシャンパンの匂いがするなと思ったことを覚えている。本当に素晴らしい瞬間だった。F1の勝者になった感覚は本当に最高で、この感覚をキャリアを通じて何回も味わう必要があると思ったことも覚えている。
2009年シーズンはブラウンGPがマルチディフューザー搭載マシンでスタートダッシュに成功しましたが、レギュレーションの穴を突く形となった彼らに対しては新レギュレーション導入というアイディアを根本から否定しているという意見もありました。シングルディフューザーだったレッドブル・レーシングとしては、中国GPの優勝はひときわ嬉しいものだったのではないでしょうか?
大きな意味を持つ優勝だった。当時のF1に関する話題はマルチディフューザー一色だったからだ。実際、エイドリアン(ニューウェイ)は中国GPに帯同していなかった。英国でモナコGPでデビューさせる予定だったマルチディフューザーの開発に取り組んでいたからだ。
当時の私たちはここにかなり振り回されていて、F1全体の政治にも振り回されたが、中国GPの優勝で落ち着くことができた。そのあと、ドライのイギリスGPで2勝目を挙げることができた。
初勝利が一番難しく、初勝利さえできればあとは楽だと言われていますが、中国GPでの初優勝がワールドチャンピオンへの道を切り拓いたと思いますか?
そう思う。閃きの瞬間だった。壁を突破することができた。しかし、2009年シーズンはレース数が足りなかった。2009年シーズンは全17戦だったので、ブラウンGPとジェンソン・バトンに追いつき、ワールドチャンピオンになるにはレース数が足りなかった。
しかし、我々は2010年シーズンに初のワールドタイトルを獲得し、誰もが知っている通り、2011年シーズンから2013年シーズンまで防衛に成功した。2009年 F1中国GPは大きな成功に続くスタート地点になったと思う。
今もチームにとって上海インターナショナル・サーキットは愛すべき思い出のサーキットなのでしょうか?
チーム全員が上海インターナショナル・サーキットを特別なサーキットに感じている。幸運なことに、2018年シーズンにはダニエル・リカルドが優勝して通算2勝目を挙げることもできた。
このサーキットではいくつかの酷いレースも経験しているが、チームにとってスペシャルなサーキットであることに変わりはない。なぜなら、初優勝を記録したサーキットだからだ。
カテゴリー: F1 / レッドブル・レーシング