F1史に名を残すトップデザイナー Part 1
F1史に名を刻む偉大なデザイナーたちを10名を紹介する企画の第1弾。

かのロータスの創始者で、自らもF1史における数々の革新的なデザインを生み出したコーリン・チャップマンはこんな言葉を残している。
「レーシングカーの存在意義はただひとつ。レースに勝つことだけだ。そのマシンがレースに勝てないなら、それはすなわち時間と金、労力の浪費に他ならない」

これまでF1史において偉大な成功を収めてきたF1ドライバーたちの栄光の陰には、必ず優れたマシンが存在する。そのマシンを生み出すデザイナーは、チームにとって最も重要な成功への鍵を握る存在と言えるだろう。

ジョン・バーナード
ジョン・バーナード
カーボンファイバー・モノコックをF1で初めて導入
60年代後半に英国ローラ社でレーシング・エンジニアとしてのキャリアを開始したジョン・バーナードは、スポーツカーのライトバルブのデザインなどで経験を積んだ後、1970年代にはチャンピオンマシン『マクラーレン M23』の設計に関わり、やがてF1界におけるイノベイターとしての名声を確立した。マクラーレンがロン・デニス体制へ移行した1980年、バーナードはF1界で初めてカーボンファイバー・モノコックを導入。軽量性と高剛性を飛躍的に向上させると共に、マシン後部のカウルをタイトに絞り込んでリアウィングの効率を最大限に高める「コークボトル・ライン」と呼ばれる空力思想を取り入れた。彼がデザインを手掛けたマクラーレン MP4/1・MP4/2系シャシーは1980年代中盤にかけて最も魅力的かつ独創的なマシンとして知られ、ニキ・ラウダやアラン・プロストに複数回のタイトルをもたらした。1990年代にはフェラーリにおいて640(F1初のセミオートマチック・トランスミッションを搭載)の設計を手掛けるが、やがてチーム内部の政治的内紛に嫌気が差し離脱。その後在籍したベネトンでは、ロリー・バーンとの共同作業によって後のミハエル・シューマッハの成功に向けた礎を築いた。F1から身を引いたバーナードは、現在自身の自動車デザインオフィスを経営している。

ロス・ブラウン
ロス・ブラウン
自らチームを率いてドライバーズ/コンストラクターズ両タイトルを制覇
ロス・ブラウンは当然ながら非常に高いスキルを持つF1エンジニアだが、チーム全体の統率能力においても卓越した手腕を発揮した。近代F1のマシンデザインは、ただひとりの天才デザイナーの主導によって成し遂げられるものではなくなっている。空力やビークルダイナミクス、構造分析など各分野において分業化が進み、複数人のエンジニアたちが関わるため、その全体を正しい方向性へと導くテクニカル・ディレクターの存在が非常に重要となっている。ロス・ブラウンはテクニカル・ディレクターとして近年稀に見る大きな功績を残した人物であり、ベネトンやフェラーリに複数回にわたりワールドチャンピオンをもたらした後、2008年シーズンからはホンダF1のチーム・プリンシパルに抜擢された。翌2009年シーズン、ホンダ撤退後にブラウンGPへと改められた自分のチームを率い、ジェンソン・バトンに初タイトルをもたらすと共にコンストラクターズ・タイトルも制覇。メルセデスへの売却後もチーム代表として留任し、2014年シーズンを前に勇退。現在はF1の競技面を取りまとめるマネージングディレクターを務めている。

ロリー・バーン
ロリー・バーン
「シューマッハ・ドリームチーム」の一翼を担う
寡黙な南アフリカ人のロリー・バーンは極力メディアでの露出を避けようとしているが、彼こそがミハエル・シューマッハのベネトンとフェラーリ時代の成功における影の立役者だ。化学者だったバーンは正式な工学実習の経験を持たなかったが、1970年代末にトールマンへ加入。1986年にはその後継チームベネトンで、ゲルハルト・ベルガーのドライブによって自身の手掛けたマシンが初勝利を飾る。1990年代に入ると、ベネトンにはロス・ブラウンとミハエル・シューマッハが合流し、バーンと共に1994年シーズンおよび1995年シーズンのチャンピオンシップを席巻する。その後バーン/ブラウン/シューマッハの3人は優勝請負人として揃ってフェラーリへ移籍し、6年シーズンにおいて6回のコンストラクターズ・タイトルと5回のドライバーズ・タイトルという圧倒的な功績を残した。

コーリン・チャップマン
コーリン・チャップマン
ロータスで数々の技術革新を生み出す
コーリン・チャップマンが生涯追い続けてきた軽量化への揺るぎない信念は、1960年代から1970年代にかけて彼のチーム・ロータスに多大な成功をもたらした。「馬力をアップすれば直線は速くなる。だが、軽量化をすればサーキット全体の速さにつながる」― これもまた、チャップマンが残した名言のひとつだ。ロータスはストラット式サスペンション、モノコックとエンジンのストレスメンバー化、サイドポッド、ウィング、グラウンドエフェクト、更にはマシンを広告スペースとして利用するスポンサーシップの概念など、今日のF1にも綿々と繋がる数々の革新を成し遂げた。チャップマンはジム・クラーク、グレアム・ヒル、ヨッヘン・リント、マリオ・アンドレッティといった伝説のドライバーたちと共に60年代~70年代のF1で幾多の栄光を共にした。

ジョン・クーパー
ジョン・クーパー
ミッドシップエンジンでF1黎明期に革新をもたらす
ジョン・クーパーとその父であるチャールズがエンジンをマシン後部に配置するデザインを行ったのは、必要に追われてのことだったが、このデザインは1950年代当時まだ黎明期にあったF1のエンジニアリングを大きく飛躍させることになった。かの名手スターリング・モスがステアリングを握ったクーパー T-45は1958年アルゼンチンGPでマセラティやフェラーリといったイタリアの強豪勢を見事に破り、ミッドシップエンジン車としての初勝利を飾った。また、翌1959年シーズンおよび1960年シーズンにクーパーを駆ったジャック・ブラバムは2年連続でタイトルを獲得した。

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カテゴリー: F1 / F1マシン