アレクサンダー・アルボン 「レッドブルF1のドライバーを外された日は本当に辛かった」
ウィリアムズF1のアレクサンダー・アルボンは、2022年シーズンの終わりにレッドブル・レーシングのF1ドライバーを外されたことを告げられたF1で夢の仕事を失った日の経験について語った

アレクサンダー・アルボンは、2019年のF1オーストラリアGPでトロロッソからF1デビューを果たし、その後、ピエール・ガスリーと交代する形で夏休みにマックス・フェルスタッペンのチームメイトとしてレッドブル・レーシングに昇進した。

しかし、2022年の終わりにレッドブル・レーシングのF1チーム代表であるクリスチャン・ホーナーとモータースポーツアドバイザーを務めるヘルムート・マルコは、一貫性を示せなかったアレクサンダー・アルボンを外すことを決定。代役を務めることになったセルジオ・ペレスは、マックス・フェルスタッペンとのパートナーシップでより成功を収めている。

「本当につらかった。耐えられなかった。酷いものだった」とアレクサンダー・アルボンはBeyond The Gridで語った。

「それくらいの経験だった。僕がレーシングドライバーを務めることがないと発表されたのはかなり遅かった。12月だったと思う」

「彼らはまだ僕を信じてくれていた。クリスチャンとヘルムート、レッドブルの全員だね。そして、僕はまだ彼らと素晴らしい関係を築いている」

「でも、僕サイドとしては『僕はF1にいたい。自分が知っているなかで最もハングリーなドライバーであると感じている。どうすればF1に戻ることができるだろうか?』というような感じだった」

アレクサンダー・アルボンは、2022年にレッドブルでテストと開発の役割を担う傍観者として1年を過ごした。だが、オフシーズンにメルセデスに移籍した親友のジョージラッセルの代役として、2022年にウィリアムズと共にF1グリッドに戻った。

「あのようにスポットライトやパドックから離れて、別の視点で物事を見るのは非常に興味深いことだった」とアレクサンダー・アルボンは振り返る。

「とにかくマックスとチェコの話を聞いていたし、いつも彼らのエンジニアの話を聞いていた」

「それから少しずつ吸収していった。人々、彼らの性格、彼らがどのようにチームと相互に作用しているか、どのように学んでいるのかをね」

「車はすぐに最初から良かった。マックスは、リアが(2020年のRB16よりも)どれだけ良く感じたか、どれだけ安定していたかについて話していた」

「それは少し痛かった。なぜなら、同時に『それは素晴らしいことだ。自分はそれに貢献したように感じている』と感じていたからね」

アレクサンダー・アルボンは、レッドブル・レーシングのチーフデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイが、マックス・フェルスタッペンを昨年のドライバーズチャンピオンシップに導く車の開発に貢献するという点で、自分を公然と認めてくらた人物の1人だったと語った。

「エイドリアンのような人々は、僕の仕事に対して多くの信用を与えてくれた。僕が大量に役立ったとは言うつもりはないけど、力を貸すことができたように感じた」とアレクサンダー・アルボンは語った。

「最初の数レースはひどいものだった」

「僕はリザーブドライバーだったので、すべてのレースに行かなければならなかった。でも、そこにいるだけで、見ることhあできなかったし、座ってできるだけだった。できるだけそこから離れようとしていた」

ウィリアムズF1チームに移籍したアレクサンダー・アルボンは、第3戦オーストラリアGPで58周のうち57周をスタートしたハードタイヤで走り切るという驚異的な戦略で10位入賞を果たし、チームに2022年初ポイントをもたらした。

ウェットとドライの複雑なコンディションで行われたエミリア・ロマーニャGPでは、11位とわずかにポイントを逃した。

「結果には本当に満足している」とエミリア・ロマーニャGPでのパフォーマンスについてアレクサンダー・アルボンは語った。

「我々はチャンスを最大限に生かし、自分たちのペースでコース上で何台かの車をオーバーテイクした」

「1つの順位でポイントを逃したのは残念だったけど、チャンスをつかんで、違うことをして、最速の車を持っていなくても、より高いレベルで戦えることを示しすことができた」

アレクサンダー・アルボン

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カテゴリー: F1 / アレクサンダー・アルボン / ウィリアムズ・レーシング / レッドブル・レーシング