MotoGP マルコ・シモンチェリ
MotoGPのレースディレクションは23日、セパン・インターナショナル・サーキットのプレスカンファレンスルームで、第17戦マレーシアGPの決勝レースで事故死したマルコ・シモンチェリの状況に関して共同会見を行った。

レースディレクションの代表であるポール・バトラーは、「この記者会見の目的は、マルコ・シモンチェリの悲劇的な死亡の状況を検証することです」と説明を始めた。

「皆様がご存知のように、我々レースディレクションのメンバー全員がここに出席します。FIM国際モーターサイクリズム連盟の代表であるクロード・ダニス、ドルナスポーツの代表であるハビエル・アロンソ、ライダーの代表であるフランコ・ウンチーニ、そして私はIRTA国際レーシングチーム連盟の代表兼レースディレクションの代表です。ミケーレ・マッキアゴデーナは我々のメディカルディレクターであり、彼が死亡に関して状況を説明します。」

マッキアゴデーナは、「友人であるマルコ・シモンチェリの死亡に関して報告するために、ここにいることは大変悲しいです。他のライダーたちに激突したレース中の転倒でした。彼は頭部と首、胸部に深刻な外傷を負いました。」

「我々のメディカルスタッフが彼のところに駆けつけたとき、彼は意識不明でした。心停止だったことから、救急車で、CPR(心肺蘇生)を始めました。」

「緊急に、メディカルセンターでクリニカモービルのスタッフと地元医師の助けを借り、挿管を施行し、胸部から少量の血液を吸引することが可能でした。」

「我々は彼を助けるために治療を尽くし、可能だと考えて、CPRを45分間継続しました。不運にも彼を助けることができず、現地時間の16時56分に死亡を宣言しなければいけませんでした」と、状況を説明した。

バトラーは、ヘルメットが外れたことに関する質問に対して、「他の機会に答えることができると思います。事故の状況や結果を徹底的に調査します」と、事故検証を実施することを説明。

コーリン・エドワーズの負傷状態に関して、マッキアゴデーナは「肩を脱臼しました。麻酔を受け、正しい位置に戻りました。彼は大丈夫です」と説明。

「我々は彼の家族に同情します。可能な限り、あらゆる点を示したい」と、バトラーは付け加え、会見を締め括った。

マルコ・シモンチェリ 経歴

1996年から2000年にかけて地元イタリアのミニバイク選手権で活躍し、2年連続のチャンピオンに輝く。01年にイタリア選手権125ccクラスのホンダ・トロフィーに参戦。翌02年には、欧州選手権の125ccタイトルを獲得するとともに、ロードレース世界選手権(WGP)にも出場。03年からWGPにフル参戦を開始し、05年には125ccで総合5位と躍進すると、翌年から250ccにステップアップを果たした。08年には250ccのタイトルを獲得し、09年は、最終戦までライバル青山博一選手とタイトル争いを繰り広げ、総合3位となった。2010年に最高峰のMotoGPにステップアップ。参戦2年目の2011年、第17戦マレーシアGP決勝レースにおけるアクシデントで負傷し、サーキットのメディカルセンターで救命処置が行われたが同日逝去。享年24歳。

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カテゴリー: F1 / MotoGP