レジェンド寺田陽次郎、Road to Le Mansレースを完走
マツダレジェンドドライバーの寺田陽次郎は、6月15日(木)と17日(土)にフランス・サルトサーキットで行われたRoad to Le Mansレースに出場。参加車両のトラブルによって、木曜日のレースは完走できなかったものの、24時間レースのために集まった大観衆の前でスタートした土曜日の決勝レースは、無事完走を果たした。
Road to Le Mansレースは、第85回ル・マン24時間レースのサポートレースとして、55分間の決勝レースが2回設定された。
寺田陽次郎がドライブしたのはDKRエンジニアリングがメンテナンスするアデスLMP3という車両。友人であるシルバン・ブーレイ(フランス)がこのクルマのオーナーで、寺田陽次郎のパートナードライバーだ。しかし、サスペンションなどのセッティング準備が適正ではなく、また電気系統にも不調があったため、本来予定されていた水曜日のプラクティスはついに走れずじまいだった。つまり寺田陽次郎にとって、木曜日の予選がぶっつけ本番となった。しかも、寺田陽次郎が乗り込んでスタートした予選セッションは、赤旗で中断となり、満足にタイムアタックをすることもできなかった。それでも最後尾からスタートする1回目の決勝レースは、寺田陽次郎が前半スティントを務めることになった。
天気は晴れで気温は25度前後、汗ばむほどの暑さ。いざスタートすると、寺田陽次郎は車両の不安定な挙動に悩まされることになる。それでも2~3周走るうちに「ようやく、マシンの動きをつかめてきたので、少し攻めてみようとトライしたところ、ポルシェカーブでスピンしてしまいました。どこにもぶつけずにマシンを止めたのですが、スターターを回してもエンジンは始動しませんでした」と寺田陽次郎は語っている。この時点で91号車アデスLMP3はリタイヤとなった。始動不良の原因は、バッテリーの電圧不足だったのではないかと考えられている。
マツダの支援のもと、東日本震災の被災地に住む中高生を招待し、ルマンおよび近郊での語学研修や異文化交流を通じて彼らの自立を支援するプログラム「Support Our Kids」(SOK)のツアーが、今年も24時間レースの日程に合わせて組まれた。福島県、宮城県、岩手県からやってきた9名の子供達が、ルマン市から50kmほど離れたシャエンヌという村で数日間ホームステイし、地元の方々と交流し様々な活動を体験してきた。その中には、地元中学校での日本文化の紹介や、震災記録に関するプレゼンテーションなども含まれていた。そして、15日にはマツダのデザインを統括する前田育男常務執行役員が待ち構えるルマンに移動し、カートサーキットでの模擬レースも体験している。
ル・マン24時間レースにこれまでに29回出場した日本人ドライバーとして、ACO(フランス西部自動車クラブ)理事としてよく知られた寺田陽次郎は、場内アナウンスでも何度もサルトサーキットに戻ってきたことが伝えられており、地元新聞やテレビもこぞって寺田陽次郎とSOKの話題を取り上げていた。
24時間の決勝レースを3時間半後に控えた土曜日午前11時30分。SOKの子供達がグランドスタンドで見守る中、Road to Le Mans第2レースがスタートした。スタートドライバーは寺田陽次郎。ブラックとイエローに塗り分けられたマシンには、SOKのロゴが輝いている。スタートした寺田陽次郎は力強く走り、途中ブーレイに交代。彼もステディな走りで周回を重ね、クラス24位でチェッカードブラッグを受けた。
寺田陽次郎は「LMP3車両は面白いマシンですが、今回は準備不足で、なんとか走りきれた、という感じです。それでも久しぶりのルマンのフルコースを走れたことは、僕自身とてもワクワクし、大変楽しい体験でした。古希を迎えた僕がこのレースに集中していることで、子供達が何かを感じてくれれば良いと思います」と語った。
SOKの子供達は「レースは初めて見ましたが、レーシングカーがとってもかっこいい」、「寺田陽次郎や24時間レースに参加したドライバー達の挑戦する姿に感動しました」、「ゴールの瞬間に喜ぶドライバーさん、メカニックさん達の姿が印象的でした」、などと感想を語っていた。
マツダの前田さんも、「ルマンを通じて、レースをしている人たちの絶対に諦めない姿勢、また多くの人々の協力によって全てが進行していることを学んでくれたと思います。辛い時期を過ごした経験を持つ君たちは、それをバネに日本の将来を担う大人になっていただきたいと思います。チャレンジする心を忘れないように、この素晴らしい体験を大事にし続けてください」と語りかけた。
カテゴリー: F1 / ル・マン24時間レース
Road to Le Mansレースは、第85回ル・マン24時間レースのサポートレースとして、55分間の決勝レースが2回設定された。
寺田陽次郎がドライブしたのはDKRエンジニアリングがメンテナンスするアデスLMP3という車両。友人であるシルバン・ブーレイ(フランス)がこのクルマのオーナーで、寺田陽次郎のパートナードライバーだ。しかし、サスペンションなどのセッティング準備が適正ではなく、また電気系統にも不調があったため、本来予定されていた水曜日のプラクティスはついに走れずじまいだった。つまり寺田陽次郎にとって、木曜日の予選がぶっつけ本番となった。しかも、寺田陽次郎が乗り込んでスタートした予選セッションは、赤旗で中断となり、満足にタイムアタックをすることもできなかった。それでも最後尾からスタートする1回目の決勝レースは、寺田陽次郎が前半スティントを務めることになった。
天気は晴れで気温は25度前後、汗ばむほどの暑さ。いざスタートすると、寺田陽次郎は車両の不安定な挙動に悩まされることになる。それでも2~3周走るうちに「ようやく、マシンの動きをつかめてきたので、少し攻めてみようとトライしたところ、ポルシェカーブでスピンしてしまいました。どこにもぶつけずにマシンを止めたのですが、スターターを回してもエンジンは始動しませんでした」と寺田陽次郎は語っている。この時点で91号車アデスLMP3はリタイヤとなった。始動不良の原因は、バッテリーの電圧不足だったのではないかと考えられている。
マツダの支援のもと、東日本震災の被災地に住む中高生を招待し、ルマンおよび近郊での語学研修や異文化交流を通じて彼らの自立を支援するプログラム「Support Our Kids」(SOK)のツアーが、今年も24時間レースの日程に合わせて組まれた。福島県、宮城県、岩手県からやってきた9名の子供達が、ルマン市から50kmほど離れたシャエンヌという村で数日間ホームステイし、地元の方々と交流し様々な活動を体験してきた。その中には、地元中学校での日本文化の紹介や、震災記録に関するプレゼンテーションなども含まれていた。そして、15日にはマツダのデザインを統括する前田育男常務執行役員が待ち構えるルマンに移動し、カートサーキットでの模擬レースも体験している。
ル・マン24時間レースにこれまでに29回出場した日本人ドライバーとして、ACO(フランス西部自動車クラブ)理事としてよく知られた寺田陽次郎は、場内アナウンスでも何度もサルトサーキットに戻ってきたことが伝えられており、地元新聞やテレビもこぞって寺田陽次郎とSOKの話題を取り上げていた。
24時間の決勝レースを3時間半後に控えた土曜日午前11時30分。SOKの子供達がグランドスタンドで見守る中、Road to Le Mans第2レースがスタートした。スタートドライバーは寺田陽次郎。ブラックとイエローに塗り分けられたマシンには、SOKのロゴが輝いている。スタートした寺田陽次郎は力強く走り、途中ブーレイに交代。彼もステディな走りで周回を重ね、クラス24位でチェッカードブラッグを受けた。
寺田陽次郎は「LMP3車両は面白いマシンですが、今回は準備不足で、なんとか走りきれた、という感じです。それでも久しぶりのルマンのフルコースを走れたことは、僕自身とてもワクワクし、大変楽しい体験でした。古希を迎えた僕がこのレースに集中していることで、子供達が何かを感じてくれれば良いと思います」と語った。
SOKの子供達は「レースは初めて見ましたが、レーシングカーがとってもかっこいい」、「寺田陽次郎や24時間レースに参加したドライバー達の挑戦する姿に感動しました」、「ゴールの瞬間に喜ぶドライバーさん、メカニックさん達の姿が印象的でした」、などと感想を語っていた。
マツダの前田さんも、「ルマンを通じて、レースをしている人たちの絶対に諦めない姿勢、また多くの人々の協力によって全てが進行していることを学んでくれたと思います。辛い時期を過ごした経験を持つ君たちは、それをバネに日本の将来を担う大人になっていただきたいと思います。チャレンジする心を忘れないように、この素晴らしい体験を大事にし続けてください」と語りかけた。
カテゴリー: F1 / ル・マン24時間レース