桜井孝太郎、イギリスF3のルーキークラスで初優勝
桜井孝太郎が、5月13〜15日にイギリスのスネッタートン・サーキットで開催されたイギリスF3選手権(第7〜9戦)に、ハイテック・モータースポーツから参戦し、第8戦において史上最年少(16歳321日)でのルーキークラス初優勝を達成した。
スネッタートン・サーキットは名門チーム・ロータスとの縁も深く、イギリスのモータースポーツファンに愛されているサーキット。新装されたコースは、テクニカルでありながら、高速コーナーも多く、攻めがいのあるサーキットとなっている。
シーズン開幕直前のこのサーキットでのテストで、縁石でジャンプしてモノコックを全損した苦い経験がある桜井孝太郎は、木曜日にサーキット入りすると、入念にエンジニアとコースを下見し、各コーナーごとの縁石の形状や高さを再三チェックして歩いた。
金曜日のフリー走行を今年初めてトラブルフリーで終えることができた桜井孝太郎は、今回の週末に向けてチームと戦略を練り、土曜日の予選では通常新品タイヤを2セット使って2度のアタックをするところ、1セットで2度のアタックをし、日曜日の第8戦に向けて新品タイヤを温存する作戦を取った。
第7戦はスタート直後の第1コーナーでライバルのバート・ヘルキマを抜いたものの、第2コーナーで抜き返され、再び第5コーナーでインに飛び込むといったハードバトルを展開した末、前戦に引き続きクラス2位でフィニッシュ。予選で問題となった高速コーナーでのオーバーステアが解消されておらず、セットアップを変更して続く日曜日の第8戦に臨んだ。
日曜日の第8戦は、桜井孝太郎のみが新品タイヤを装着し、そのアドバンテージを最大限生かして得意なスタートから逃げきる作戦。しかし、今シーズン初めてスタートをミス。やや遅れ気味に第1コーナー、そして第2コーナーへと飛び込んだ。その瞬間、中団グループのマシンが何台か多重接触事故を起こし、桜井孝太郎は自らもダートに飛び出しながら、そのクラッシュしたマシンの隙間を縫うような形で混乱をクリア。一気にクラストップに躍り出た。スタートの失敗が逆に幸運を呼んだ形となった。
その後、20分という短いレースを、ファステストラップを叩き出しながら快調に周回を続けてたが、終盤、ミッショントラブルで大きくペースを落とさざるを得ない状況に見舞われ、ピットにも緊張が走った。しかし、なんとかゴールまで走りきり、見事念願のルーキークラス初優勝を達成。自身にとって待望の4輪レース初優勝を、イギリスF3の檜舞台で果たした。
日本人としてのルーキークラス優勝は、1999年の佐藤琢磨選手(2001年21歳でイギリスF3チャンピオン獲得)に続いて二人目の快挙。そして桜井孝太郎の16歳と321日という記録は、イギリスF3史上最年少でのクラスウィナー記録となった。イギリスF3協会の会長は桜井孝太郎を「You are a HERO!」と祝福した。
夕方スタートを迎えた第9戦は、スタートからクラストップを快走するも、攻めすぎた結果のスピンで順位を落とし、クラス2位でフィニッシュ。確実に速さは増してきたことで、桜井孝太郎自身もF3に対して、ようやく自信をつけてきたレース内容となった。
桜井孝太郎
「今日、ここで優勝できたのは本当に心から嬉しいです! この優勝のために今まで努力してきたし、誰よりも努力してきたと思っているからこそ、その頑張りが結果として残せたことが本当に嬉しい。日本が震災の影響で厳しい状況の中、被災地の人たちを少しでも勇気づけたいと思って頑張って走ってきたし、逆にこの厳しい状況の中でいろいろな人達が僕を応援し、そしてサポートしてくれました。そのことにまず心から感謝したいです。もちろんチーム全員に感謝したい。これまでチームを色々振り回してきたし、彼らの苦労も知っているから、ひとりひとりに心から感謝しています。土曜日のレースが終わって、ネットで『AUTOSPORT−WEB』を観た時に、ユーロF3で日本人選手が優勝したことを知って、明日は絶対に勝たなきゃダメだと思いました。今勝たないと、置いていかれる気がしたから、だから今日は今まで以上に、まさに死ぬ気で走りました。それが結果として現れた時は本当に嬉しかったし、気がついたら嬉し泣きしてました(笑)。途中、ミッションにトラブルが出始めた時は冷や汗が出ましたけど、最後までマシンをもたせることができて良かったです。まだまだイギリスF3選手権シリーズは長い戦いですし、1勝だけじゃ満足しません。でもこの1勝が、多くのことを変えてくれると信じています。もう、すぐ週明けからまたテストをすることになっていますし、僕の2011年はまだまだこれからです。周囲の人々を驚かせようと思ったら、まだやるべき事は山ほどありますからね。今後も気を引き締めて頑張りますので、皆さん応援宜しくお願いします」
カテゴリー: F1 / 桜井孝太郎
スネッタートン・サーキットは名門チーム・ロータスとの縁も深く、イギリスのモータースポーツファンに愛されているサーキット。新装されたコースは、テクニカルでありながら、高速コーナーも多く、攻めがいのあるサーキットとなっている。
シーズン開幕直前のこのサーキットでのテストで、縁石でジャンプしてモノコックを全損した苦い経験がある桜井孝太郎は、木曜日にサーキット入りすると、入念にエンジニアとコースを下見し、各コーナーごとの縁石の形状や高さを再三チェックして歩いた。
金曜日のフリー走行を今年初めてトラブルフリーで終えることができた桜井孝太郎は、今回の週末に向けてチームと戦略を練り、土曜日の予選では通常新品タイヤを2セット使って2度のアタックをするところ、1セットで2度のアタックをし、日曜日の第8戦に向けて新品タイヤを温存する作戦を取った。
第7戦はスタート直後の第1コーナーでライバルのバート・ヘルキマを抜いたものの、第2コーナーで抜き返され、再び第5コーナーでインに飛び込むといったハードバトルを展開した末、前戦に引き続きクラス2位でフィニッシュ。予選で問題となった高速コーナーでのオーバーステアが解消されておらず、セットアップを変更して続く日曜日の第8戦に臨んだ。
日曜日の第8戦は、桜井孝太郎のみが新品タイヤを装着し、そのアドバンテージを最大限生かして得意なスタートから逃げきる作戦。しかし、今シーズン初めてスタートをミス。やや遅れ気味に第1コーナー、そして第2コーナーへと飛び込んだ。その瞬間、中団グループのマシンが何台か多重接触事故を起こし、桜井孝太郎は自らもダートに飛び出しながら、そのクラッシュしたマシンの隙間を縫うような形で混乱をクリア。一気にクラストップに躍り出た。スタートの失敗が逆に幸運を呼んだ形となった。
その後、20分という短いレースを、ファステストラップを叩き出しながら快調に周回を続けてたが、終盤、ミッショントラブルで大きくペースを落とさざるを得ない状況に見舞われ、ピットにも緊張が走った。しかし、なんとかゴールまで走りきり、見事念願のルーキークラス初優勝を達成。自身にとって待望の4輪レース初優勝を、イギリスF3の檜舞台で果たした。
日本人としてのルーキークラス優勝は、1999年の佐藤琢磨選手(2001年21歳でイギリスF3チャンピオン獲得)に続いて二人目の快挙。そして桜井孝太郎の16歳と321日という記録は、イギリスF3史上最年少でのクラスウィナー記録となった。イギリスF3協会の会長は桜井孝太郎を「You are a HERO!」と祝福した。
夕方スタートを迎えた第9戦は、スタートからクラストップを快走するも、攻めすぎた結果のスピンで順位を落とし、クラス2位でフィニッシュ。確実に速さは増してきたことで、桜井孝太郎自身もF3に対して、ようやく自信をつけてきたレース内容となった。
桜井孝太郎
「今日、ここで優勝できたのは本当に心から嬉しいです! この優勝のために今まで努力してきたし、誰よりも努力してきたと思っているからこそ、その頑張りが結果として残せたことが本当に嬉しい。日本が震災の影響で厳しい状況の中、被災地の人たちを少しでも勇気づけたいと思って頑張って走ってきたし、逆にこの厳しい状況の中でいろいろな人達が僕を応援し、そしてサポートしてくれました。そのことにまず心から感謝したいです。もちろんチーム全員に感謝したい。これまでチームを色々振り回してきたし、彼らの苦労も知っているから、ひとりひとりに心から感謝しています。土曜日のレースが終わって、ネットで『AUTOSPORT−WEB』を観た時に、ユーロF3で日本人選手が優勝したことを知って、明日は絶対に勝たなきゃダメだと思いました。今勝たないと、置いていかれる気がしたから、だから今日は今まで以上に、まさに死ぬ気で走りました。それが結果として現れた時は本当に嬉しかったし、気がついたら嬉し泣きしてました(笑)。途中、ミッションにトラブルが出始めた時は冷や汗が出ましたけど、最後までマシンをもたせることができて良かったです。まだまだイギリスF3選手権シリーズは長い戦いですし、1勝だけじゃ満足しません。でもこの1勝が、多くのことを変えてくれると信じています。もう、すぐ週明けからまたテストをすることになっていますし、僕の2011年はまだまだこれからです。周囲の人々を驚かせようと思ったら、まだやるべき事は山ほどありますからね。今後も気を引き締めて頑張りますので、皆さん応援宜しくお願いします」
カテゴリー: F1 / 桜井孝太郎