F1史:赤と白の『マールボロ・カラー』がF1に初登場した瞬間
マクラーレン・ホンダとアイルトン・セナの黄金時代の象徴ともいえる赤と白の『マールボル・カラー』がF1に初登場したのは1972年だった。
フィリップモリスは、歴史的にF1の最も著名なスポンサーであり、スポーツで50年近くの経験があり、1972年にBRM(British Racing Motors)チームをサポートしたときにマールボロのカラーリングを纏ったマシンが初登場した。
BRMが、1972年のプレシーズンに発表のために訪れたポール・リカールで、巨大なタバコの箱からピーター・ゲシンの運転で赤と白のマールボロ・カラーを纏ったP160Bがコースに降り立った。
マールボロという大口スポンサーを獲得したBRMは、一気に5台体制での参戦となった(ドライバーはスポット参戦を含め計10名)が、優勝は大雨のモナコGPでジャン=ピエール・ベルトワーズの1勝のみとなった。
マールボロの70年代のF1パドックで大ききな存在感を表し、そのカラーはいくつかのチームと数え切れないほどのドライバーによって競われた。
マールボロは、1974年にマクラーレンに鞍替え。赤と白のフルカラーでレースをした最後のF1カーは、1996年のマクラーレンMP4 / 11だった。
カテゴリー: F1 / F1マシン
フィリップモリスは、歴史的にF1の最も著名なスポンサーであり、スポーツで50年近くの経験があり、1972年にBRM(British Racing Motors)チームをサポートしたときにマールボロのカラーリングを纏ったマシンが初登場した。
BRMが、1972年のプレシーズンに発表のために訪れたポール・リカールで、巨大なタバコの箱からピーター・ゲシンの運転で赤と白のマールボロ・カラーを纏ったP160Bがコースに降り立った。
マールボロという大口スポンサーを獲得したBRMは、一気に5台体制での参戦となった(ドライバーはスポット参戦を含め計10名)が、優勝は大雨のモナコGPでジャン=ピエール・ベルトワーズの1勝のみとなった。
マールボロの70年代のF1パドックで大ききな存在感を表し、そのカラーはいくつかのチームと数え切れないほどのドライバーによって競われた。
マールボロは、1974年にマクラーレンに鞍替え。赤と白のフルカラーでレースをした最後のF1カーは、1996年のマクラーレンMP4 / 11だった。
カテゴリー: F1 / F1マシン