ウィリアムズF1とBARホンダが争奪戦 ジェンソン・バトン契約騒動の舞台裏

契約承認委員会(CRB)は最終的にBARホンダ側の主張を認め、バトンのウィリアムズ復帰は実現しなかった。この判断は、その後のバトンのキャリアを大きく左右する転機となった。
ウィリアムズは契約成立を確信
2004年8月5日、ウィリアムズはバトンが2005年と2006年にチームへ加入すると正式発表した。
当時、ウィリアムズはBARホンダが保有していた契約オプションを期限内に行使しなかったため、バトンはフリーエージェントになったと判断していた。
フランク・ウィリアムズは当時、契約の有効性に強い自信を示していた。
「まず明確に言えるのは、我々はジェンソンとの契約を保有しているということだ」
「BARはこれに異議を唱えているようだ。しかし我々は、BARがジェンソンを引き留めるオプションを失効させたと確信している。2005年に彼がウィリアムズで走ることに疑いはない」
BARホンダが即座に異議申し立て
しかし、BARホンダ代表だったデビッド・リチャーズは発表直後から反論した。
BARホンダは、すでに2005年の契約オプションを正式に行使しており、バトンは引き続きチームの所属であると主張。この問題はF1契約承認委員会(Contract Recognition Board:CRB)に持ち込まれることになった。
そして2004年10月20日、CRBはBARホンダ側の主張を全面的に支持。2005年について有効な契約はBARホンダとの契約のみであり、ウィリアムズとの契約は認められないとの裁定を下した。
判定を受け、バトンは次のようにコメントした。
「もちろん今回の裁定には失望している。でも原則として、CRBが下した判断は尊重すべきだと考えている」
「このプロセスを通じて、BARはサーキットでも非常にプロフェッショナルだった」
一方、フランク・ウィリアムズも裁定を受け入れながらも無念さを隠さなかった。
「当然ながら、この結論には失望している」
「ジェンソンは、そのために法的な争いを起こす価値があるドライバーだと考えていた。強力な法的助言に基づいて動いたものであり、今回の挑戦を後悔してはいない」
2006年契約も買い取りで決着
しかし、騒動はこれで終わらなかった。
ウィリアムズは2006年については依然として有効な契約を保有していると主張。一方のバトンは、BARホンダへの残留を希望し、移籍を望まなくなっていた。
最終的には、バトンが推定1800万ポンド(当時)の違約金を支払い、ウィリアムズとの契約を買い取る形で決着したと報じられている。正確な金額は公表されていない。
バトンは当時、次のように語っている。
「フランクと僕の問題を解決できて本当にうれしい」
「決して居心地のいい状況ではなかった。でも、これ以上事態が悪化する前に解決できたことに感謝している」
結果的にF1王者への道を切り開く転機に
この契約騒動は、結果的にバトンのF1キャリアを大きく変える出来事となった。
BARホンダは2006年からホンダF1となり、バトンは同年のハンガリーGPでF1初優勝を達成。その後、ホンダのワークスチームは2008年限りで撤退したものの、チームはブラウンGPとして再出発を果たす。
そして2009年、バトンはブラウンGPでドライバーズタイトルを獲得。もし2005年にウィリアムズへ移籍していれば、このシンデレラストーリーは実現していなかった可能性が高く、今回の契約騒動はF1史を大きく変えた一件として今なお語り継がれている。
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