F1列伝:ブラウンGP 「我々が2秒速いなんて…計算を間違えたに違いない」
2009年のF1世界選手権でのブラウンGPの登場は衝撃的だった。F1プレシーズンテストの最終週にようやくマシンをコースに出したブラウンGPはトップタイムを題してテストを終え、開幕戦でポール・トゥ・ウィンを果たす。

2008年末にワークスチームとして参戦していたホンダがF1から撤退。現在F1のマネージングディレクターを務めるロス・ブラウンとニック・フライが土壇場でチームを救済した。

2009年はF1レギュレーションが変更され、フロントウイングは広く、リアウイングは小さくなり、空力パーツも大きく制限された。また、KERSが初めて導入された年となり、各チームは選択式で導入が認められるなど、まったく新しい時代に突入していた。

ブラウンGPのマシン『BGP001』は、300人いたスタッフが冗長化され、2009年にレースができるかどうかわからないような状況で開発された。本来、ホンダの2009年F1マシンとしてサーキットに並ぶはずだったマシンには、メルセデスのF1エンジンが搭載された。

だが、ホンダが新しいレギュレーションの抜け穴をついて開発した『ダブルディフュザー』が搭載されたBGP001はすぐにモンスターであることが明らかになった。

当時、最終的にチャンピオンを獲得したジェンソン・バトンを務め、現在はメルセデスF1のトラックサイドエンジニアリングディレクターを務めるアンドリュー・ショブリンは次のように振り返る。

「我々はマシンに多大な努力を払っていたので、それなりのマシンになることは分かっていた。我々はかなり早くに開発をスタートさせていた」とアンドリュー・ショブリンは語る。

「1年前のシーズン中盤のホッケンハイムで『我々は2008年を忘れよう2009年に新しいルールに集中しよう』となった」

当時、F1プレシーズンテストはアルガルヴェ、バーレーン、ヘレス、バルセロナと複数の会場で行われた。ブラウンGPが参加したのは最終数のヘレスだった。第1週のテストでは、2008年マシンで参加したトロロッソが最新マシンに2秒以上の差をつけて最速タイムを記録している。

「だが、実際、我々がテストに行かず、他の全員がポルティマオでテストを行っていたときに、このマシンは本格的に速いかもしれないと考え始めた。トロロッソ(2008年マシン)がそこにいて、スバ抜けて速かった」

「我々はほとんどすべてのパフォーマンスを回復していた。我々はと同じくらい速いと推定していた。『ちょっと待ってくれ。これだと我々は他の誰よりも2秒速いことになる』といった感じだった。そして、我々は『計算を間違っているに違いない』と思った」

「バルセロナで走行をスタートしたときは何も準備ができていなかった。そして、『何てことだ。これは本格的に速い』と確信した」

そして、迎えた開幕戦でブラウンGPは予選でフロントローを独占して、1-2フィニッシュでシーズンをスタート。ジェンソン・バトンがタイトルを獲得し、8勝を挙げたチームはコンストラクターズ選手権も制した。

しかし、現在メルセデスF1のスポーツディレクターを務めるロン・メドウズによると、チームはフリーランスのピットクルーを含め、寄せ集めのメンバーでシーズンを戦っていた。.

「(メルボルンで)我々は1-2フィニッシュを果たしたが、それに値しなったのは確かだ。1位と4位だったと思う。2回のショッキングなピットストップがあった。だが、セブ(ベッテル)と(ロバート)クビサが残り数周でお互いにヒットした」とロン・メドウズは回想する。

「我々が抱えていた問題は給油だった。前年度の通常の給油担当は冗長化の一部としてチームを去っていた。我々は彼らをキープしたかったが、彼はチームを去って、配管工になることを決意していた」

「なんとかメルボルンを切り抜けた我々は、いくつかの変更を加える必要があることに気づいた。それで、私は彼に電話をした。そして、彼は週末の戦士としてやって来た。彼は土曜日の夜に飛行機で日雇いで燃料を補給し、レースの直後に家に帰って2週間配管工事を行い、その後また戻ってきた」

アンドリュー・ショブリンは「ピットストップで約8秒負けていたので、かなり良い価値があった!」と付け加えた。

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カテゴリー: F1 / ブラウンGP / メルセデスF1