マノーの2009年06月のF1情報を一覧表示します。

マノー、2010年のF1参戦計画はまだ未確定

2009年6月28日
マノー・グランプリ ジョン・ブース代表
マノー・グランプリのチーム代表であるジョン・ブースは、先週FIAとFOTAとの間で合意された新しいコスト削減レギュレーションが、2010年のF1世界選手権に参加するためのマノーのチーム計画に影響するかを判断するにはまだ早すぎると語る。

マノーは、USF1とカンポスとともに2010年の新規F1参戦を承認された。3チームは。FIAが当初発表した予算キャップのもとでエントリーを提出していたが、先週の合意により予算キャップは廃止となり、現在はFOTAが提案した新しいコスト削減レギュレーションに置き換わっている。

FOTA、マノーとアラン・ドネリーとの関係に不満

2009年6月28日
アラン・ドネリーとマックス・モズレー
F1チームは、チーフ・ストゥワードであるアラン・ドネリーの会社が、新規F1参戦チームのマノーF1チームに協力していることに対して、正式な異議申し立ての準備をしている。

アラン・ドネリーは、マックス・モズレーの代理人を務めており、彼のソブリン・ストラテジー社のジェーン・ノッテージがマノーの広報を担当していると見られている。

ヴァージン、マノーの命名権を獲得

2009年6月26日
ヴァージン リチャード・ブランソン
ヴァージンが、来年からF1に新規参戦するマノーF1チームの命名権の獲得に合意したという。

「チームはヴァージンのあとに名づけられる。それはブラウンとの交渉で行き詰まっていた目的のひとつである」とイギリスのBBCは主張している。

現在、1レースあたり25万ドル(約2,400万円)という安価な価格でブラウンGPのスポンサーをしているヴァージンだが、リチャード・ブラウンソンは来年はブラウンGPのスポンサーを降りることになるかもしれないとの意向を示していた。

ジョン・ブース(マノーF1チーム代表):インタビュー

2009年6月13日
ジョン・ブース (マノー・グランプリ)
2010年のF1参戦リストで最大のサプライズはマノー・グランプリだろう。マノー・グランプリは、これまで参戦候補として言及されることはなかった。しかし、計画は静かに進んでいたのである。

マノーF1チームのチーム代表であるジョン・ブースが、沈黙を保っていた理由、そして将来の抱負を語った。

沈黙を守っていましたね・・・
常にレーダーの表面下にいることが我々の意向だった。そうすれば、何かが起こりそうだと考えていて、それが起こらなかったとしても、そんなに間抜けには見えないからね!

マノー・グランプリはどのようにして生まれたのですか?
かなりの間、取り組んできたプロジェクトだ。チャンスはニック・ワースに話した4〜5ヶ月前にやってきた。正直なところ、それがプロジェクトの鍵だった。彼は優秀な男で、マシンを設計し、製造する技術と才能がある。ところが、我々は理性でそれを実行した。マノー・グランプリは、ヨークシャーの価値観で実行される。可能な限り清潔に、そして効率的にね。ニックはマノーGPのパートナーであり、彼の身内のみんなを信頼している。

マノーのF1マシンはワース・リサーチが製造

2009年6月13日
ニック・ワース (ワース・リサーチ)
マノーF1チームは、ワース・リサーチとの独占パートナーシップを発表。ワース・リサーチが2010年のF1マシンを製造することを明らかにした。

2010年のF1参戦に承認されたマノーF1チームの参戦マシンは、元ベネトンF1チームのチーフ・デザイナーを務めたニック・ワースが取り組み、彼の会社であるワース・リサーチとワース・リサーチ・テクノロジーによって提供される。

「最近まで、私の家族や親しい友人でさえ、私がF1マシンのデザインに復帰することに関心を持っていなかったと認めるだろう」とニック・ワースは語る。

マノー・グランプリとは

2009年6月13日
マノー・グランプリ
マノー・グランプリが、2010年のF1参戦を承認された。チーム名は「マノーF1チーム」として参戦する。

マノーF1チームは、コスワースエンジンを使用。ジョン・ブースがチーム代表を務め、テクニカル・ディレクターをニック・ワースが務める。

マノー・グランプリは、1990年にジョン・ブースが設立したマノー・モータースポーツが母体。マノー・モータースポーツは、フォーミュラ・ルノーやF3ユーロシリーズで多くの勝利をおさめ、ルイス・ハミルトンやキミ・ライコネンといったF1チャンピオンを輩出している。
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