F1 ブレンドン・ハートレー
ブレンドン・ハートレーが、トロロッソ・ホンダ放出の全貌を激白。昨年の第6戦モナコGPの時点で自分を交代させようという計画が持ち上がっていたと明かした。

2010年にレッドブルのジュニアプログラムから外されたブレンドン・ハートレーは、その後、ル・マン24時間レース優勝、2度目のWECチャンピオンを獲得してキャリアを挽回し、2017年のF1アメリカGPでトロロッソのドライバーとして抜擢された。

2018年にホンダをパートナーに迎えたトロロッソは、引き続きブレンドン・ハートレーをレースドライバーに起用。しかし、チームメイトのピエール・ガスリーの成績に匹敵することができず、ランキング19位でシーズンを終了。

シーズン終了後にブレンドン・ハートレーの放出が発表され、トロロッソは元ドライバーのダニール・クビアトを呼び戻し、チームメイトとしてF2をランキング2位で終えたアレクサンダー・アルボンを起用することを選んだ。

ブレンドン・ハートレーは、F1アブダビGPのレース終了から1時間後に解雇を伝えられたことを含め、トロロッソ・ホンダ放出の全貌を激白。トロロッソが、当時マクラーレンのリザーブドライバーを務めていたランド・ノリスに接触を図ったと報じられた5月のモナコGPの時点ですでに自分を交代させる計画があったと述べた。

シーズンを通してプレッシャーにどのように対処していたかと質問されたブレンドン・ハートレーは「実際、自分の身に悪いことが起きるのではないかという感覚は一年中消えることはなかった。でも、まさにその通りだった」と The Players' Tribune にコメント。

「プロレベルのすべてのドライバーやアスリートはプレッシャーに対処しなければならない。そして、全ての人々がそれに対処する方法やそれをポジティブに変える方法を独自に持っている。F1ではあらゆる角度からプレッシャーがあかるけど、常に顕微鏡で見られているという感覚はこれまで扱ったことのないレベルだった」

「僕がクルマの中でおならをしたら、誰かがそれについて書いたり、コメントするんじゃないかというくらいに感じていた。だから、自分のアプローチを強化する方法を見つけて、レース週末の自分の時間をもっと利己的にして、書かれたことや他人が何が考えているかについてあまり気にしないようにしていた」

ブレンドン・ハートレーは、シーズンで最も厳しかった瞬間は、F1モナコGPで自分が交代させられるかもしれなという推測が真実だとわかった瞬間だったと語る。

「厳しかった。今振り返ってみて、最も覚えているのは、週末が始める前の水曜日にメディハ対応のためにパドックまで歩いていたら、自分に将来について次々と質問を受けたことだ」

「僕はここにいて、F1キャリアで一握りのレースしかしていないのに、終わりについて質問されるんだからね」

「でも、あの日のいちばん最悪だったのは、その噂にいくつか真実が含まれていることがわかったときだった。まだほんの数戦しか終えていないのに、僕がそこにいることを望まんでいない人々が何人か出てきたんだ。正直に言うとちょっとショックだった」

「僕は世界耐久選手権(WEC)で2度のタイトルを獲り、ル・マンで優勝して、豊富な経験を積んでF1にやってきたし、最初の3レースでは予選で2回チームメイトに勝っていた。だから、あんなにも早くに僕を交代させるという話が出るなんて信じられなかった」

「あの夜は自分のアパートメントまで歩きながらモンテカルロ・サーキットの壁を見て、今週末、もしここで失敗して、この壁にぶつかりでもしようものなら、僕のF1キャリアはあと数日で終わることになるだろうなと考えていた。僕にとって全てのプラクティスセッションがより重いものになると理解していた。全てのラップタイム、全てのリザルトが精査されて、僕をシートから追い出すための材料にされる可能性があるとね。それまでに経験したことのない独特なタイプのプレッシャーだった」

「でも、それがF1での人生というものだ。スポーツには多くのお金とたくさんの人が関わっている。政治的なことがあるのは当然のことだ。ファンならばそれを知っているし、ドライバーであれば、それを耐えるしかない」

解雇の噂が浮上するなかで、ブレンドン・ハートレーは2018年の最終戦を迎えた。だが、アブダビに到着した時には自分の来季の去就については知らなかったとハートレーは語る。

「ファンのみんなと同じように、僕もどうなるのかは全くわからなかった。それがF1の政治というものだ。少し厄介なことかもしれない。誰もが卵の殻の上を歩いているようなもので、必ずしも明確であるとは限らない。だから、とにかく僕は自分にできることをした。自分の仕事をね。予選でチームメイトに勝ち、日曜日の夜は12位でフィニッシュした」

「その1時間後、ミーティングに呼び出された。そして、その数分後、僕はもうF1ドライバーではなくなった」

「会議ではあまり多くのことは言われなかった。はるか昔のモナコから僕を放出する計画があることは明らかだったしね。そういうものだ。どうでもいいと思ったよ」

「自分のドライバーズルームに戻ってサラ(妻)を抱きしめた。涙が出たし、悲しみもあったけど、すでに未来と次のステップに目を向けてもいた。数分後に友人のマーク・ウェバーが部屋に入ってきた。彼はスポーツについて多少のことはわかっている。僕はいつも彼が提供するどんなアドバイスにも耳を傾けてきた。僕のトレーナーのリッチと親友のジョーも一緒にいた。その瞬間はチームで僕に最も近いメンバーの何人かが一緒にいてくれてありがたかった。その夜遅く、僕のストーリーの大部分を占めている他の人々にも電話をした」

「サラと仲間が出て行った後、ガレージまで歩いて戻り、何人かにもう戻ってはこないことを伝えた。厳しかったね。ここにいる人たちは男性も女性も人生の本当に多くの時間をスポーツとチームのために捧げている。でも、必ずしもそれに見合った称賛を得られるとは限らない。焦点はだいたいチーム全体よりドライバーに向けられてしまうからね。僕はトロロッソとホンダの誇り高きメンバーの一員だった。あの日にさよならを言わなければならないのは今まで僕が経験してきた中で一番つらいことのひとつだった」

ブレンドン・ハートレーは、2019年の計画について発表していないが、ポルシェのワークスドライバーに復帰しており、シーズン6からワークス参戦するポルシェとともにフォーミュラEに転向すると言われている。

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カテゴリー: F1 / ブレンドン・ハートレー / トロロッソ / ホンダF1