メルセデスのテクニカルディレクターを務めるジェームス・アリソンの履歴書には、まさに“タイトル請負人”として多くの成功が記されている。F1について考えるとき、チームとドライバーは最も重要な要因だ。だが、チーム内には多くの名前が隠されている。もちろん、チーム代表や他の影響力のある人物の名前は知れ渡っているが、従業員の大多数は外の世界には完全に知られていない。その中間に位置するのがジェームス・アリソンと言える。
ジェームス・アリソンは1968年2月22日に生まれ、1991年以来トップクラスのモータースポーツで活躍している。長年にわたり、いくつかの伝説と作ったチームで働いており、ほぼ継続的にF1サーカスに参加している。1991年にケンブリッジ大学を卒業後、ジェームス・アリソンはベネトンF1チームの空力部門に加わった。2年後、彼は小さなラルースF1チームに転職し、そこで空力部門の責任者として働き始める。しかし、チームの経済的問題により、アリソンはすぐにデザイナーとしてベネトンに戻った。1994年にベネトンはミハエル・シューマッハと共にドライバーズ選手権を獲得する。1年後、ベネトンはダブルタイトルを獲得し、1997年に彼は空力責任者のポジションに昇進する。1996年にフェラーリに移籍したミハエル・シューマッハを追って、1999年にジェームス・アリソンもフェラーリに転職。ここで彼は“トラックサイド・エアロダイナミスト”の役割を果たし、ミハエル・シューマッハとフェラーリの成功に貢献。1999年から2004年までのコンストラクターズ選手権6連覇とミハエル・シューマッハの5回のタイトル獲得を支えた。フェラーリでの長年の成功の後、ジェームス・アリソンは2005年にベネトンを母体としたエンストンのチームであるルノーに戻る。ここで、副テクニカルディレクターを務めたジェームス・アリソンは、フェルナンド・アロンソとともに2005年と2006年のダブルタイトル獲得に貢献する。その後、いったん成功は影ひそめ、2009年にはテクニカルディレクターに昇進してルノーの“クラッシュゲート”事件を経験。ロータスF1チームに名前を変えたチームに2013年までに留まり、その後2013年にフェラーリにテクニカルディレクターとして再加入。だが、メルセデスが勢いを増し始めたため、ここで成功を収めることはなかった。 2016年半ばまでフェラーリに留ったジェームス・アリソンは、2017年にウィリアムズに移籍したパディ・ロウの後任としてテクニカルディレクターとしてメルセデスに入社。当時、メルセデスはもちろん非常に成功しており、アリソンがチームに加わった後もタイトルを獲得し続けている。F1はチームスポーツであるが、舞台裏でのジェームス・アリソンの貢献がチームの成功にとって非常に重要であることも明らかだ。過去30年間でジェームス・アリソンは非常に多くのドライバーズ選手権とコンストラクタース選手権に貢献した“タイトル請負人”と言える。