ルイス・ハミルトンがF1で初勝利を挙げたのはマクラーレン時代の2007年のF1カナダGP。F1史上98人目のウィナーとなった。ルイス・ハミルトンは、カート時代の10歳のときにAutosport Awardsで初めて当時のマクラーレンの代表ロン・デニスと初めて会い「僕はルイス・ハミルトンと言います。いつか、あなたのためにレースをしたいと思っています」と告げたのは有名なエピソ-ドだ。
ロン・デニスはルイス・ハミルトンのサイン帳に「9年後にまたおいで」と書いたが、3年後の1998年にマクラーレンはハミルトンと育成ドライバー契約を締結。2005年にF3ユーロ、2006年にGP2でチャンピオンを獲得し、「マクラーレンの秘蔵っ子」として2007年にマクラーレンからF1デビューを果たす。チームメイトは2連覇を達成していた現役ワールドチャンピオンのフェルナンド・アロンソだった。ルイス・ハミルトンは、デビュー戦となる開幕戦オーストラリアGPで3位に入賞し表彰台を獲得。第2戦マレーシアGP、第3戦バーレーンGPでも2位に入り、デビューから3戦連続表彰台という史上初の成績を収めた。さらに第4戦スペインGP、第5戦モナコGPでも2位入賞を果たし、第4戦終了時には未勝利ながら史上最年少でドライバーズランキングの首位に立った。そして、第6戦カナダGPでは初のポールポジションを獲得すると、決勝レースではポール・トゥ・ウィンで初優勝を果たした。22歳154日での勝利だった。ルイス・ハミルトン「素晴らしい一日だ。歴史的な日だ。最後のラップは自分をコントロールしようとしていた。とにかくマシンを止めて飛び出したかった。かなり長い間このため、勝つための準備してきた。いつどこで勝つかという問題だった。この勝利は父に捧げなければならない。彼なくしてこの勝利は不可能だった。表彰台で目に涙を浮かべている彼が見えた。とても感動的だった。最後の数周はカウントダウンをしていたし、本当にそれを楽しむことができた。かなりシンプルなレースだった。次の夢はワールドチャンピオンに勝つことだ。でも、僕たちは現実的でなければならないし、今年が僕のルーキーイヤーであることを忘れてはならない」続く第7戦アメリカGPでもポール・トゥ・ウィンで2戦連続優勝を果したルイス・ハミルトンは、第10戦ヨーロッパGPでは入賞圏外の9位でフィニッシュ。これにより初参戦以来の連続表彰台記録および連続入賞記録は9でストップした。シーズンが進むにつれて、チームメイトのフェルナンド・アロンソとの確執が現れるようになり、第11戦ハンガリーGPの予選では暫定ポールポジションのアロンソがピットストップで時間を稼いだことで、ハミルトンが最後のアタックが出来なかった。この件についてアロンソは5グリッド降格、チームにはハンガリーGPでのコンストラクターズポイントは加算されないというペナルティが科せられた。ポイントリーダーとして迎えた第16戦中国GPでは、タイヤのパンクで自身初のリタイアを経験。そして最終戦のブラジルGPではランキング3位にいたライコネンに1点差で逆転チャンピオン獲得を許した。結果的にF1史上初の新人によるワールドチャンピオン獲得という偉業達成はならなかったものの、前年まで連覇を果たしたアロンソを同点ながらもランキングで上回るなど、その才能を遺憾なく見せつける1年となった。この年、マクラーレンは“スパイゲート事件”でコンストラクターズランキングから除外されたうえ、巨額の罰金を科せられた。フェルナンド・アロンソは、このシーズン限りでチームを離れている。
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