ハースF1のロマン・グロージャンは、F1で自分と彼の同世代のドライバーには運がなかったと語る。1986年生まれのロマン・グロージャンは、2009年にルノーF1で7レースを戦った後、GP2に送り返され、2011年にタイトルを獲得した後、2012年にルノーがワークスチームとしてF1から撤退してロータスを名乗ったエンストンのチームに復帰した。
2012年から2013年までに9回の表彰台を獲得したロマン・グロージャンだが、チームは2014年には深刻な資金難に陥り、その後のF1キャリアは中盤で戦うことになった。また、2012年のF1ベルギーGPでは多重クラッシュを引き起こしたとして1レースの禁止処分が下され、危険な運転をするドライバーとの評判がなかなか消えることはなかった。ロマン・グロージャンは、自分がもっと早く、もしくはもっと遅くに生まれていれば、状況は違っていたかもしれないと語る。「それについて考えるとすれば、1986/87世代は間違った時代に生まれたかもしれない」とロマン・グロージャンは Sky Sports に語った。「ポール・ディ・レスタ、ニコ・ヒュルケンベルグ、僕、セバスチャン・ブエミも少しそうかな。僕たち全員がトップシートが埋まっていて、先輩ドライバーがまだF1を離れていないときにF1に到達した。その後、若手ドライバーが台頭してきて、僕たちにはあまりチャンスがなかった。仕方ないことだけどね」ハースF1で5シーズン過ごしたロマン・グロージャンとチームメイトのケビン・マグヌッセンは、今シーズン末でチームに別れを告げる。結果を出せなかったロマン・グロージャンだが、自分のF1キャリアに悔いはないと語る。「それについて自分でコントロールできることはない。F1で10年を過ごせたのは素晴らしいことだ。やりたかったことは達成できたと思う。もちろん、いつだってワールドチャンピオンになりたいと思っているけど、適切なツールがなければチャンスはない」「今後はそれが変わるといいね。1つのチームだけが支配するようなことがなければ、F1ははるかに良い場所になると思う」後悔があるとすれば、ロータスの財政難だったとロマン・グロージャンは振り返る。「唯一の後悔は、僕たちが正しい道を進んでいた素晴らしい2013年の後、2014年にロータスが破産したことかもしれない」とロマン・グロージャンは認める。「当時、トップチームからのオファーはなかった。チームメイトのキミ・ライコネンはフェラーリに行き、僕はロータスに残留して下降していった。フィールド後方に近いチームにると、回復するのはとても困難だ」「いくつかのレースで勝つことができたかもしれないことは分かっている。でも、チャンスが巡ってきたときにやれることはすべてやったことはわかっているので、勝てなかったことに後悔することはない。さっきも言ったように、唯一の後悔は、2013年以降はあまり競争力のあるマシンを手に入れる機会がなかったことだ」2010年以降、セバスチャン・ベッテル(2010年~2013年)、ルイス・ハミルトン(2014年~2015年、2017年~2020年)、ニコ・ロズベルグ(2016年)とレッドブルとメルセデスのドライバーしかタイトルを獲得していない。