マックス・フェルスタッペンがダニエル・リカルドの旧ナンバーである「3」への変更を発表し、さらにランド・ノリスが来季チャンピオンナンバー「1」を使用する予定となったことで、カーナンバーが再び注目を集めている。ここでは、他のドライバーの番号を引き継いでレースに出場した11のケースを紹介する。4シーズンにわたって「1」を使用してきたマックス・フェルスタッペンは、2026年にまったく新しい数字でレースに臨むことを明らかにした。
来季はランド・ノリスがワールドチャンピオンのナンバーを引き継ぐため、フェルスタッペンは慣れ親しんだ「33」に戻るのではなく、「3」に変更することになる。カーナンバーはグリッドにおいて大きな意味を持つことがある。2014年以前は、カーナンバーは前年のコンストラクターズ選手権順位に基づいて各ドライバーに割り当てられており、迷信を理由に13番は避けられていた。しかし現在では、ドライバーは自由に固有の番号を選ぶことができる。例外は2つあり、ひとつは現役ワールドチャンピオン専用として「1」が確保されていること、もうひとつはジュール・ビアンキを追悼して「17」が永久欠番となっていることだ。多くのドライバーは、ジュニア時代からシニアキャリアに至るまで、選んだ番号を忠実に使い続け、他のレースカテゴリーでも同じ番号を持ち続けることが多い。しかし、新たな条項により、FIAの承認と、過去2シーズン以内にその番号を使用していたドライバーの許可があれば、番号変更が可能となった。その代表例が、ダニエル・リカルドとフェルスタッペンである。引退、復帰、そして数多くのシャッフルを経て、ここに他のドライバーの番号を引き継いだ11のケースを挙げる。■3 : ダニエル・リカルドからマックス・フェルスタッペンへリカルドと「3」は、2014年以降切っても切れない関係だった。この組み合わせの背景にあるストーリーも、最近引退したオーストラリア人ドライバーらしいものだ。リカルドは若いカート時代、文字どおり帽子から番号を引き当てて「3」を使い始めた。F1でもこの番号に戻り、その際には、同じ番号で有名なNASCARのレジェンド、デイル・アーンハートへの敬意を示す発表も行った。やがて「3」は“ハニーバジャー”のアイデンティティの一部となり、DR3ブランドの一要素としても使われるようになった。その「3」が、今度はリカルドの元チームメイトであり4度のワールドチャンピオンであるフェルスタッペンの手でグリッドに戻ってくる。今週、フェルスタッペンは、リカルド本人とFIAの許可を得て、この番号でレースをすることを発表した。2人は2016年から2018年にかけてレッドブルでチームメイトだったが、フェルスタッペンにとってこの変更は、かなり前から考えていたものだったという。フェルスタッペンはViaplayに対して次のように語っている。「僕の一番好きな番号は、1を除けばずっと3だった。33でも問題はなかったけど、3が2つより1つのほうが好きなんだ。ずっと“ダブルの幸運”を表すと言ってきたけど、F1ではもう十分に運を使ったからね」■5 : セバスチャン・ベッテルからガブリエル・ボルトレトへ2014年末にルイス・ハミルトンに王座を明け渡し、4年連続のワールドチャンピオン時代が終わった後、セバスチャン・ベッテルは「5」に戻ることを選んだ。この番号は、2010年に初タイトルを獲得した際に使っていたものであり、2001年のカート時代の成功とも結びついている。ベッテルはナイジェル・マンセルの大ファンでもあり、何度も登場する「5」という数字にインスピレーションを受けたという。ベッテルが2025年開幕戦メルボルンで引退してから3シーズン後、この「5」が再び走ることになった。若きブラジル人ルーキー、ガブリエル・ボルトレトによってである。数々の成功を収めてきた伝説的な番号に、新たな時代が訪れた。21歳のボルトレトにとっては大きな重圧も伴うが、彼はどのようにしてこの番号を選んだのだろうか。「この番号でフォーミュラ3を勝ったからだよ」と、彼はキック・ザウバーのSNSで説明している。「それに、85という番号は、僕がカートを始めた頃に使っていた番号なんだ」近年、グリーンのマシンに5番が付いている光景はおなじみになっている。■6 : ニコ・ロズベルグからニコラス・ラティフィ、そしてアイザック・ハジャーへメルセデスのニコ・ロズベルグは、2014年のレギュレーション変更を前に、ひとつ上の数字を狙っていた。その理由は家族にあった。6は妻と父のラッキーナンバーだったのだ。その幸運は実際に結果へとつながり、ロズベルグは2016年に「6」を付けてドライバーズチャンピオンを獲得した。これは、父ケケ・ロズベルグが1982年に同じ番号でタイトルを獲得してから34年後のことだった。ロズベルグ引退から数年後、ニコラス・ラティフィも「6」を背負ってグリッドに加わった。彼はカナダ出身で、トロント生まれ育ちという背景からこの番号を選んだ。ウィリアムズのドライバーはファンにこう説明している。「トロントは“ザ・シックス”として知られている。そこ出身なら、電話番号の市外局番が416か647なんだ」ラティフィは2022年シーズン終了とともにグリッドを去ったが、「6」はすぐに戻ってきた。アイザック・ハジャーが2025年にレーシングブルズでのルーキーシーズンにこの番号を選んだのだ。レーシングブルズのYouTubeで彼は、父が最初に買ってくれたカートに6番が付いていて、それ以来キャリアを通じて変えなかったと説明している。この番号が空いていたのは幸運であり、その組み合わせは成功をもたらし、初年度の活躍がレッドブル昇格につながった。グリッド上の6番、3つの異なる時代。■22 : ジェンソン・バトンから角田裕毅へ2009年、ブラウンGPが初めて、そして結果的に唯一のF1シーズンを戦った際、ドライバーには当時利用可能な中で最も大きい番号が与えられた。ジェンソン・バトンは22、ルーベンス・バリチェロは23だった。当時は単なる番号割り当ての結果に過ぎなかったが、その年の終わりには、バトンとブラウンが両タイトルを獲得し、22はスポーツ史に残るおとぎ話と永遠に結び付けられた。「2009年に22番でワールドチャンピオンになったから、22には良い思い出がある。新しい思い出を作るのを楽しみにしている」と、バトンは2014年にマクラーレンでこの番号を使う決断を発表した際に語っている。時は流れ、2021年に22は角田裕毅によってグリッドに戻ってきた。実は第一希望ではなかった。角田はカート時代に11を使っていたが、すでにセルジオ・ペレスが使用していたため、倍にしたのだ...
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