マクラーレンのテクニカルディレクターを務めるティム・ゴスは、2009年にブラウンGPでF1ワールドチャンピオンを獲得した後にマクラーレンに移籍するという決定によってジェンソン・バトンは“評価を上げた”と語る。F1で実績があったジェンソン・バトンだが、ワールドチャンピオン獲得は、圧倒的な強さがあったBGP01の力によるものだという見方があった。
メルセデスがブラウンGPを買収した際、ジェンソン・バトンは、マクラーレンでルイス・ハミルトンと組むことを選択。だが、バトンがハミルトンに挑戦できると考える者は少なかった。「多くの専門家は移籍は間違いであり、彼はルイスに支配されると考えていた。だが、彼は全員が間違っていることを証明した」とティム・ゴスはマクラーレンの公式ウェブサイトで語った。「スタートから、彼が誰に劣っていないことはかなり明白だったし、実際それは彼の評価を上げた」「その時点まで、人々はブラウンにいてマシンが速かったのは運が良かったと彼を見なしていた。彼がマクラーレンに到着した時、彼は偉大なドライバーであることを証明した」「以前、我々はヘイキ・コバライネンがルイスとパートナーを組んでいた。それはかなり良いパートナーシップだった。ヘイキは予選でルイスをプッシュしたが、レースで速いことは滅多になかったし、彼はルイスからポイントを奪うことはなかった」「我々のなかにもヘイキが出ていくことをちょっと失望している者がいた。だが、ジェンソンと契約するとわかった際、我々はそのことに本当に興奮した。彼が素晴らしいドライバーであることはわかっていたし、彼はそれを証明した」3シーズンで、ジェンソン・バトンは、優勝回数こそ劣ったが、ポイント数では672対657でルイス・ハミルトンを上回った。2011年には3勝と12回の表彰台を獲得して、セバスチャン・ベッテルに次ぐ2位でシーズンを終えている。「あのシーズン、彼はかなり冷静だった。ルイスはちょっと道に迷っていたこともジェンソンの利益となった。ルイスは多くのペナルティを受けた。彼も速かったが、あまりに多くのポイントを取り逃がした」「ジェンソンは常に結果を出していた。彼はレース毎に表彰台を獲得していた。彼は常にそこにいた。しばしば彼は後方から追い上げ、必ずしも予選では上位ではなかった。クルマが彼に合っているのは明らかだったし、彼はパフォーマスとプロフェッショナリズムを最大限に生かした」