フェルナンド・アロンソのF1キャリアは、2008年の決定次第では違ったものになっていたかもしれない。2007年にマクラーレンに移籍したフェルナンド・アロンソだが、チームメイトのルイス・ハミルトン、およびマクラーレンの上層部との関係が悪化し、残り2年の契約を破棄してチームを離脱。古巣ルノーへと復帰する。
だが、ルノーへの復帰は次の大きな機会への一時的な措置であることは広く知られ、すぐさま2009年の去就が取り沙汰されることになる。フェルナンド・アロンソは2010年にフェラーリへの移籍を希望していたが、まだリーマンショックが起こる前であり、レッドブルやトヨタ、BMWザウバー、ホンダが移籍先として候補に挙がった。F1記者のチャールズ・ブラッドリーによると、6月のF1カナダGPの時点でホンダF1は本気でフェルナンド・アロンソの獲得を狙っていたという。当時のホンダF1はまったく競争力がなかったが、2009年にはF1レギュレーションの大幅変更が予定されており、空力面の大幅な変更、特にKERSの導入を含め、各チームの勢力図は未知だった。ホンダF1のある上層部は「来年、皆はゼロからスタートする。空気的に全チームが毎年5%または10%向上している。1年を逃せば、残りの年も駄目ということになる。来年、そのような問題ははい。だから、このようなレギュレーション変更は起こるときは常にサプライズがある。どのチームも来年は強くなる可能性がある」と自信を見せていたという。そして、8月にはフェルナンド・アロンソが、2009年にホンダと1500万ドル(約16億円)の契約にサインする直前だと報じられた。ホンダは、2010年にフェラーリへの移籍を希望しているアロンソのために、1年契約も受け入れるとされていた。当時のホンダF1のチーム代表ロス・ブロウンは、「彼をチームに入れたい。彼は最高だからね。」とアロンソ獲得の意思を明言している。「今いる全ドライバーの中で、ミハエル(シューマッハ)がそうだったように、すべてが完成されているドライバーは彼だけだ」ホンダF1のCEOを務めたニック・フライも、「フェルナンド(アロンソ)が我々のところへ来る決断をしてくれることを願っている。我々はは非常に先進なKERSシステムを開発しており、来季のマシンを懸命に作業をしている。我々には4つの風洞があり、日本の1つでプロジェクトが順調に進められている。アロンソが我々と組めば、優勝チームになれる」と語っていた。しかし、フェルナンド・アロンソはホンダF1のオファーを拒否した。おそらく、それはマネージャーであるフラビオ・ブリアトーレがホンダのF1撤退を察知していたからだと考えられている。だが、ホンダF1を引き継いだブラウンGPの奇跡は誰も予想できないことだった。当時のホンダF1の上級筋は「フェルナンド・アロンソは2009年にニック・フライとロス・ブラウンのために運転していたはずだった。もしそうなら、彼は今日は4度のF1ワールドチャンピオンになっていただろう」と語る。4回のF1ワールドチャンピオンになれたかはわからないが、3回目を獲得できた可能性はあったかもしれない。フェルナンド・アロンソは、2015年にマクラーレン・ホンダに移籍し、F1に復帰したホンダで走ることが実現する。しかし、ブラウンGPのような奇跡が起こることはなかった。