キミ・ライコネンは、2021年F1アブダビGPで349戦という史上最多出走記録を更新してF1キャリアに幕を閉じた。“アイスマン”の愛称で人気を博したキミ・ライコネンのF1キャリアは2つのパートに分かれる。前半は2001年に22歳でザウバーからF1デビューを果たし、2009年に終わった。その時期に18勝を挙げたライコネンは、2007年にフェラーリとF1ワールドチャンピオンを獲得している。
その後、2年間F1を離れてWRCやNASCARに参戦したキミ・ライコネンは、2012年にロータスからF1に復帰。ロータスで2勝、そして、フェラーリとの2018年のF1アメリカGPでの1勝を追加した。Beyond the Gridで最も記憶に残る勝利を選ぶように頼まれたキミ・ライコネンだが、F1のベテランにとっては難しい選択だった。「もちろん、最も重要だったのは、2007年にチャンピオンシップを獲得した勝利だったと思う。彼らには最終結果がより重要だったからね」とキミ・ライコネンは語った。「すべての勝利が異なる。かなり簡単だったものもあれば、はるかに困難だったものもある。最初の勝利(2003年F1マレーシアGP)はうれしかったね。最後の勝利もしばらく時間がかかったので、とても素晴らしかっただ」最終的、キミ・ライコネンはマクラーレン時代に鈴鹿サーキットで最終ラップでの勝利を挙げた2005年のF1日本GPを最も記憶に残る勝利のひとつとして選んだ。「よくわからないけどね。何が良かったかを言うのは不可能だ」とキミ・ライコネンは語った。「2005年の鈴鹿は激しい戦いの末の勝利だし、最終ラップで勝ち取った。それが他の勝利よりも良くしているのか? よくわからない」2005年 F1日本GP(鈴鹿サーキット)決勝当日の日曜日は好天に恵まれた。ラルフ・シューマッハ(トヨタ)がポールポジションから好スタートを切り、ジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)がジェンソン・バトン(ホンダ)をかわして2位に浮上した。後方スタートのミハエル・シューマッハ(フェラーリ)は7位、フェルナンド・アロンソは8位、キミ・ライコネンは12位にジャンプアップしたが、モントーヤはオープニングラップの最終コーナーでクラッシュし、5周に渡りセーフティカーが導入された。レース再開後、9周目のシケインでフェルナンド・アロンソがクリスチャン・クリエン(レッドブル)をパスするが、勢い余ってシケインをショートカット。レースコントロールはルノーに対してペナルティの可能性を通達し、アロンソは一旦クリエンを先行させてから再び抜かねばならなかった。トップのラルフ・シューマッハは12周目に最初のピットイン。燃料搭載量を減らす3ストップ作戦を予定していたが、セーフティカー走行で作戦が狂い、順位を落としてしまう。以後、レース終盤までジャンカルロ・フィジケラがトップをキープし、後方でバトンとウィリアムズのマーク・ウェバーが接戦を展開した。5位争いはミハエル、アロンソ、ライコネンの3台が接近戦を演じる。19周目、アロンソはバックストレートでミハエルのスリップストリームにつき、超高速コーナー130Rへの飛び込みでアウト側からかわす大技を決めた。ライコネンも最初のピットイン後、30周目の1コーナーでアウト側からミハエルを抜いた。アロンソはピットイン後ポジションを落としたが、再びミハエルの背後に迫り、33周目にライコネンと同じく1コーナーアウト側からこの日2度目のオーバーテイクを成功させた。上位6台はフィジケラ-バトン-ウェバー-ライコネン-アロンソ-シューマッハの順となる。ジャンカルロ・フィジケラは2位以下を20秒近く離して、38周目に2回目のピットイン。40周目にはバトンとウェバーが同時ピットインしたが、ウェバーの給油作業の方が早く終わり、ふたりの順位が逆転した。ライコネンはピットインを最後まで遅らせ、ファステストラップを記録しながらコース上でマージンを稼いだ。45周目にピットインすると、ウェバーとバトンをかわして2番手でコースに復帰。トップのフィジケラとは5.4秒の差があったが、フィジケラはタイヤの磨耗でペースが上がらず、両者の差は急速に縮まっていった。49周目、アロンソがホームストレートでウェバーに並びかけ、イン側の芝生にタイヤを落としながらも怯まず3位に浮上した。ライコネンはフィジケラよりも2秒速いラップタイムを出し、残り3周で背後に追いついた。52周目、フィジケラは130Rで周回遅れに捉まり、2台はテール・トゥ・ノーズの状態で最終ラップに突入した。ホームストレートでライコネンはアウト側にラインを変え、フィジケラの抵抗にも構わず1コーナーアウト側から抜き去り、ついにトップに浮上した。ライコネンはフィジケラを引き離し、劇的な展開でシーズン7勝目を達成した。後にキミ・ライコネンは「2005年はベストな優勝のひとつだ。ほぼグリッドの最後尾からレースをスタートとして、最終ラップでリードを奪った。あのような勝利でフィニッシュラインを横切るときの感覚は決して忘れられないものだ」と語っている。また、デビュー以来、日本GPにおいて3年連続入賞していた佐藤琢磨(ホンダ)は、スタート直後の1コーナでコースアウトを喫し、9周目にはシケインでトヨタのヤルノ・トゥルーリに接触した。その後走行を続け1周遅れの13位でフィニッシュしたものの、トゥルーリとの接触がレース後に危険行為と判断され失格となった。トヨタ代表の富田務とリタイアしたトゥルーリは、佐藤琢磨の強引な仕掛けを強く非難した。
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