2006年、最高峰クラスのMotoGPクラスで世界チャンピオンに輝き、MotoGPで22人目のレジェンドライダーとなったニッキー・ヘイデンのメモリアル・イベントが、アメリカズGPが開催されているサーキット・オブ・ジ・アメリカズ(COTA)で行われた。ニッキー・ヘイデンは、2017年5月、サイクリング中の事故で亡くなったが、いまもなお、ライダー仲間はもちろんのこと、MotoGP関係者、そして世界中のファンに愛されている。
アメリカズGPが開幕した4月12日金曜日には、彼が愛用したナンバー「69」が永久欠番となり、記念のトロフィーが家族に贈呈された。このイベントには、ニッキー・ヘイデンの父・アールさん、母・ローズさん、兄弟のトミーさんとロジャー・リーさん、姉妹のジェニーさんとキャサリンさん、そして家族の愛する人、ライダー、MotoGP関係者、メディアなど多くの人が見守る中で行われた。金曜日の夕方には、MotoGPのパドックのすべての人が、COTAの18コーナーのアウト側の「ヘイデン・ヒル」に、ライダー、MotoGP関係者、チームスタッフやマーシャルなど大勢の人たちが集まり、ニッキー・ヘイデンが2006年にタイトルを獲得したRC211Vと記念撮影を行った。決勝レースが行われる日曜日には、MotoGPクラスがスタートする直前のグリッド上でニッキー・ヘイデンが乗ったRC211Vと家族が出席、永久欠番となった「69」番のセレモニーが行われた。ニッキー・ヘイデンは米国ケンタッキー州で有名なモーターサイクルレーシングファミリーに生まれ、ザ・ケンタッキー・キッドというニックネームがつけられた。最初はダートトラックのレースで名前が知られる。その後、ロードレースに転向してからは、そのキャリアのほとんどをHondaのマシンとともに歩み、Hondaのレーシングファミリーの一員として活躍した。1999年にはCBR600RRでAMAスーパースポーツのタイトルを獲得した。2002年には、RC51(VTR1000)でAMAスーパーバイクのチャンピオンに輝く。その翌年、03年にはRC211VでMotoGPクラスにチャレンジを開始。このマシンでニッキー・ヘイデンは3回の優勝を達成し、2006年には最終戦バレンシアGPでチャンピオンに輝き、世界中のレースファンを感動させた。その後、スーパーバイク世界選手権に転向し、16年のマレーシアではCBR1000RRを駆り優勝。MotoGPとスーパーバイク世界選手権で優勝する数少ないライダーのひとりとなった。