アイルトン・セナは、今から35年前となる1985年4月21日に開催されたポルトガルGPでF1初勝利。F1史上64人目のウィナーとなった。1984年にトールマンからF1デビューを果たしたアイルトン・セナは、第2戦南アフリカGPで6位に入り初入賞。大雨でハーフレースとなった第6戦モナコGPでは予選13位から追い上げ2位でフィニッシュし、自身とトールマンに初の表彰台をもたらした。
シーズンの途中に翌年からのロータス移籍を発表するが、トールマンと3年契約を結んでいたため二重契約として問題になった。結局、ロータスとアイルチョン・セナがトールマンに違約金を支払い、セナ自身に1レースの出走禁止の処分を課すことを条件に翌年からのロータス移籍は実現した。名門ロータスに移籍したアイルトン・セナは、エストリル・サーキットで開催された第2戦ポルトガルGPで自身初のポールポジションを獲得。豪雨となった決勝でもスタートから終始トップを走行し、2位のミケーレ・アルボレートに1分2秒978の大差を付け、3位以下を全て周回遅れにする独走でデビュー16戦目にして初優勝を飾った。ファステストラップも記録する完全勝利で、「雨のセナ」の片鱗も見せた。25歳31日での勝利だった。87年まで在籍したロータスでは6勝を挙げた。その後、マクラーレン・ホンダに移籍したアイルトン・セナは、1988年、1990年、1991年にF1ワールドチャンピオンを獲得。1994年のサンマリノGPで事故死した後もモータースポーツ界だけではなく、スポーツ界のアイコン、そしてレジェンドとなった。また、セナの母国であるブラジルでは国の英雄として讃えられている。162戦(161スタート)での通算成績は41勝、80回の表彰債、65回のポールポジション、19回のファステストラップ、生涯獲得ポイントは614ポイント。初勝利を挙げたマシン『ロータス 97T』は、F1では初のバージボードを使用。バージボードはフロントホイールとサイドポッドの間に位置しており、タイヤ周りの空気を清流させる効果を果たした。この方法は現在のモータースポーツにも未だに存在し続けている。現在、アイルトン・セナと共に勝利を収めたロータス 97Tは、Classic Team Lotusが保管、メンテナンスを行っている。Classic Team Lotusのマネージングディレクターであり、ロータス・カーズの創設者コーリン・チャップマンの息子クレイブ・チャップマンは「チーム・ロータスにとって、アイルトンがチームに加入したのはとても意味があった。父であるコーリン・チャップマンが亡くなった後、チームはパニックになっていたが、アイルトンのテクニカルアビリティとドライビングスキル、そして何よりも高いモチベーションは、チーム全体を奮い立たせ、F1に挑戦し、成功を収めることができた」と語った。英ロータス・カーズは4月21日、アイルトン・セナがF1で初優勝を果たしてから35周年を迎えたことを記念して、4枚の写真を公開。この写真は、日本の正規インポーターであるエルシーアイがロータスに特別な許可を得て、世界に先駆けて最初にリリースされたものになる。エルシーアイの代表である高橋一穂もアイルトン・セナの大ファン。レースで被るヘルメットはセナのヘルメットデザインをベースに作られたもの。そんな高橋一穂が、セナの思い出を振り返った。「セナは勿論、努力も人一倍していたに違いありませんが、持って生まれた素質と才能がとにかく素晴らしかった。それは特に雨の中のレースで際立っていました。一番印象的だったのは鈴鹿のレースで雨が降ってきた時、宿敵プロストに対し圧倒的に速かった場面です。雨のコンディションは中々練習するタイミングが無いうえに、雨の降り方も一定ではなく路面も一定していない為、瞬間瞬間の状況の変化に対応する能力が全てであり、この感覚、能力は今でもセナに勝るドライバーは居ないと思います。もし、あの事故さえ無ければと 今でも残念で仕方ありません」今でも世界中で愛されている、アイルトン・セナ。皆様のたくさんの思い出と共に、これからもレジェンドとして永遠に輝き続ける。