佐藤琢磨が、ホンダとのF1およびモータースポーツ活動について、そして、現在、ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治との関係について語った。佐藤琢磨は、ホンダエンジンを搭載するジョーダンのレギュラードライバーとして2002年にF1デビュー。史上7人目の日本人フルタイムF1ドライバーとなった。その後、ホンダのワークスチームに移籍し、2004年のF1アメリカGPで表彰台を獲得。その後、インディカーに戦いの場を移した佐藤琢磨は、2017年にインディ500を制している。
そのF1時代とインディ500制覇を支えたのが、現ホンダF1のテクニカルディレクターを務める田辺豊治だ。2017年にその役割に就任した田辺豊治は、2019年のF1オーストリアGPでレッドブル&マックス・フェルスタッペンとともにホンダとして13年ぶりの勝利を獲得。チームを代表して表彰台に上がった。ホンダF1の勝利について佐藤琢磨は「嬉しかったです。本当に。それはもう特に田辺さんが最後にチームの代表として上がったときはたぶん日本人全員が目頭が熱くなったと思うんですけど、田辺さんもいろんな、F1に行ったからといってすぐにパフォーマンスを出せるわけではないですし、ある意味、田辺さんだけのもちろん力ではなくて、Sakura研究所、栃木のスタッフたち全員の力、そこをチームと一緒にやっていくというモータースポーツの難しさがありますから、それをやり遂げた田辺さんを表彰台の頂点で見れたのはとても嬉しかったです」とコメント。田辺豊治との関係について佐藤琢磨は「僕としては本当に田辺さんだったら何でも言えるし、何でもリクエストできるし、全体として『こういう方向性にしてほしい』とか『ホンダとして今どれくらい力を入れて、こっちに持っていきたい』というのを田辺さんはよく教えてくれたので、そのあたりは本当になんて言うんでしょう、いいパートナーであり、先輩でもあり、なんかすごく心強い存在でしたね」と語る。「第2期F1のときは僕はほとんど知らないわけですけど、第3期の田辺さんていうのは、本当にレースエンジニアとして付きっきりだったんですよね。直接僕がやり取りしていたのは当然長谷川エンジニアだったんですけど、二人は本当に当時の現場でのF1エンジンというのを知り尽くしていたので、リクエストもたくさんしましたし、特に僕の方は苦しいレースが続いていたんですね」「原因不明のトラブルが多くて、それを解明するために栃木研究所の方でありとあらゆる再現をするわけですよね。コース上でなんで壊れてしまうのか、ある一定の回転数というか、エンジンが嫌ってしまう回転数があるんですけど、そこをなるべく使わないようにするにはどういう風なシフトパターンにした方がいいとか、そういうのを二人というか三人でよく話してましたね。『なんとかしたい』『全く同じエンジンなのに何で僕の方だけトラブルが出るんだ』みたいのがあったので、それを一生懸命田辺さんと長谷川さんが栃木研究所のスタッフたちと一緒に原因究明をして、最終的には2004年には素晴らしいリザルトも得られたと思いますし、一緒にやってきて本当によかったなと思いましたね」田辺豊治の人間性について佐藤琢磨は「物腰はすごく柔らかくて、本当に気さくに何でも話せるエンジニアなんですけど、やっぱり持っているものはすごく熱いですよね。勝利への執念というか、『ホンダである以上勝つ』というその意思をすごく強く感じている方だと思います。なので、僕もその北米でもう一度やらせてもらって、インディ500の挑戦をずっとやってきて、ついに自分としては7回目の挑戦だったんですけど、2017年に勝ったときっていうのは、田辺さんも顔ぐちゃぐちゃにして喜んでくれたし、二人で本当に『ここまで来たよね』っていうのはありましたね」と語る。では、佐藤琢磨についてF1とはどのような存在だったのか?「自分は本当に87年の鈴鹿サーキットで行われた第1回の最初の日本グランプリに行って、そこで本当に衝撃を受けて、心を奪われて、それからもうF1だけを目指してやってきまいたから」と佐藤琢磨は振り返る。「とは言え、87年からレースの世界に入るまで僕の場合は10年間待たなければならなかったんだけど、それをその同じ鈴鹿サーキットでレーシングスクールでそこを卒業して、1番最初に僕たちのパイオニアとして中嶋悟さんがホンダパワーでドライブしてくれて、それの後を追うように僕は卒業生として世界に行ったわけですけど、イギリスに行ったっていうのも当然F1を考えてましたから、自分の中でも本当にF1がすべてでしたね。それでイエローのジョーダン・ホンダでデビューできて、鈴鹿に戻ってこれたっていうのも自分の中で本当に特別でしたし、夢をずっと追い求めて、がむしゃらに走ってた、それが僕の中でのF1ですから、本当に当時、自分にとってすべてだと思いますね」ホンダとレースを戦う魅力について佐藤琢磨は「同じ日本人として世界の頂点を目指す、それを志す同志ですから、無条件に誇らしく感じますよね」と語る。「自分も常に胸にはホンダのロゴというかバッチをつけてここまでレースをやってきてますけど、本当に苦しい時期も経験しましたし、F1でも予選でもミハエル・シューマッハとフロントローに並んだり、フェラーリとやりあったり、その中で表彰台も経験することができて、勝つことはできなかったけど、その後、インディ500で世界の頂点をホンダとともに取れたのは自分の中で本当に特別な思いで、それをすべてホンダと一緒にやってこれたというのは自分にとってもすごく誇りだし、大変光栄に思っています」「ホンダだけに限らず、すべてのレースおよびコンペティションに携わる者はみんな同じ気持ちだと思いますけど、でも、やっぱり、本田宗一郎さんが『世界に出て行ってナンバー1だ』っていう、そこを目指したっていうのは、特にホンダに関わる人間としてはみんなそれを自分の中に持っていると思うんですよね。だから、一切妥協しない、頂点を目指してどんな状況でも『絶対にできるんだ』と信じて挑戦を続ける。これはホンダだけではないですが、でも、自分としてはホンダ色といえばやはりそこだし、ナンバー1になるためにありとあらゆるリソースを使って、夢を実現してしまうっていうのがホンダなのかなって個人的には思いますね」