レッドブルF1は、ホンダのF1エンジンを引き継いで独自のエンジンプログラムを実現しようとしている。そこでかつて存在した“無限ホンダ”のエンジンの歴史を掘り返してみる。ホンダがF1撤退を発表してまもなく、レッドブルF1がホンダF1の知的財産権を引き継ぐとの報道がなされた。一部メディアは、そのエンジンには“無限”のロゴが掲載されると伝えた。
残念ながら、ホンダは“無限”の推測を否定。しかし、既存のエンジンを引き継ぐという点では1990年代の無限ホンダとの類似点は多い。無限とホンダの間の境界線は常にぼやけていた。本田の創設者である本田宗一郎の息子である本田博俊が所有する無限(現M-TEC)は、ホンダ自身が所有したことは一度もないが、両社の間には長い関係があった。1990年代の無限のF1への関与は、ホンダのファクトリープログラムとして効果的に開始および終了したが、より独立しなければならない時代もあった。当初、無限は1991年にティレルだ搭載するホンダのV10エンジン『RA101E』を準備した。これは、中嶋悟を1シーズン前にチームにもたらした取引の一環だったが、ホンダはV12プロジェクトに焦点を合わせ、無限を導入してセカンダリーの“ワークス”供給を行った。その後、無限は「RA101E」の開発を引継ぎ、「MF351H」と改称したエンジンをフットワークへ供給することを発表。エンジン名は「無限ホンダ」となった。ホンダは1992年限りでF1から撤退したが、その後も完全ではないものの、一部のエンジニアは関与していた。その後、ロータスに新設計V10エンジンの「MF351HD」、次にリジェに新エンジン「MF301H」を供給。1996年のモナコGPでオリビエ・パニスが勝利を挙げたことで有名だ。ホンダは徐々にその関与を強化し、1998年にジョーダンとリンクするまでに無限ホンダは名前を除いて事実上すべてホンダワークスエンジンとなっていた。「1998年のエンジンは、ホンダによって完全に設計、開発、支払われた」とジョーダンのテクニカルディレクターであるゲイリー・アンダーソンは無限ホンダのエンジンについて語った。「ミーティングはすべて日本のホンダのエンジニアと直接会い、無限はロジスティクスに関与し、サーキットでの存在感を示していたが、それでもそれは小さかった」無限ホンダエンジンは最終的にF1で4回の勝利を収めた。残りの3回は1998年と99年にジョーダンで勝利。その後、2000年にホンダの本格的なワークスがBARで復活した。ジョーダンのエンジンはそのシーズンも無限ホンダのままだった。レッドブルが、ホンダの今季型のF1エンジンと知的財産権を引き継ぎ、一部で報じられているようにホンダのエンジニアを雇用することになれば、『無限ホンダ』時代の再来となる可能性がある。現在、レッドブルがホンダのF1エンジンを引き継げるかはライバルチームがF1エンジンの“凍結”に合意するかどうかにかかっており、その評決は2月21日の世界モータースポーツ評議会で下される。