中野信治が、かつてF1参戦を目指してテストが行わえた幻のF1マシン“童夢F105”と21年ぶりに再会を果たしたことを自身のTwitterで紹介した。童夢は、1995年に純国産F1マシンとオール・ジャンパンのチームでF1参戦を目指すことを発表。1996年にプロトタイプシャシーである「DOME F105」が発表され、国内のサーキットでテスト走行を実施。フォーミュラ・ニッポンのレース会場で中野信治やマルコ・アピチェラがデモ走行を行っていた。
しかし、マシン開発は行き詰まり、最終的にホンダが1998年にフルワークス体制でのF1参戦を発表したことで童夢/無限のプロジェクトは終息に向かい、F105もその役目を終えた。当時テストを担当していた中野信治はマシンに乗り込んでいる写真とともに「DOME F105と21年ぶりの再会。ほんとに懐かしい」とコメント。「当時このF1マシンのテストを担当させて頂いていたのですが、我々日本人に壮大な夢を見させてくれたプロジェクトでもありました。今の時代に必要な何かがここにあった気がするなぁ」この投稿に佐藤琢磨も反応。ちょうど、童夢・F105がテストを重ねていた時期は佐藤琢磨が鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)へ入学して、F1への挑戦を始めた時期と重なる。佐藤琢磨は「信治さん! Fニッポンのレース後、日暮れの鈴鹿で信治さんが走行されたのを見ていました」と返信。「暗くてもう諦めかけていたんだけど、出てきてくれましたね!1コーナーのスタンドにいて、涙が出ました。寒空に響くソロランのあの音、今でも鮮明に思い出します」DOME F105と21年ぶりの再会 ほんとに懐かしい。当時このF1マシンのテストを担当させて頂いていたのですが、我々日本人に壮大な夢を見させてくれたプロジェクトでもありました 今の時代に必要な何かがここにあった気がするなぁ。 pic.twitter.com/aanDANFBFC— Shinji Nakano/中野信治 (@shinjinakano24) 2017年12月8日関連:本田宗一郎の息子(本田博俊)、フェルナンド・アロンソの不遇に同情
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