佐藤公哉が、AUTO GP第7大会ドニントンパークのレース週末を振り返った。佐藤公哉は、大会直前の8月29日(木)に開催された計3時間の公式合同テストで1分18秒187を記録して総合6番手タイムを記録。もっとも、使い古したタイヤを履いてのタイムだっただけに、来たる予選と決勝に向けて佐藤公哉は十分な手応えを感じていた。
丸一日の休息日を挟んで迎えた8月31日(土)午前の練習では、予選を想定したクルマの調整に少々手間取り6番手に留まった。午後の予選セッション序盤、佐藤公哉は新品ミディアムタイヤで最初のタイムアタックに挑み、約4kmのコースを3分割した最初のセクター1で全体ベストを記録。好タイムが期待されたが、ライバルの1台がコースアウトして赤旗が掲示され、タイムアタックが空振りに終わる残念な結果となった。それでも佐藤公哉はすでに1分18秒918を記録しており、この時点では4番手につけていた。残り15分間で予選は再開され、新品ソフトタイヤに履き替えた佐藤公哉は5分間ほど待機してコースインの時機を計り、残り10分間でピットロードを離れた。徐々にスピードアップして1分18秒617と自己ベストを更新し、続く周回ではセクター1で全体ベストを記録。しかし、またしてもライバルの1台がコースアウトして赤旗が掲示され、タイムアタックを邪魔される悔しい結果となった。残り5分間で再開された予選、すでにピークを過ぎたタイヤだったが、佐藤公哉は1分17秒851を記録して予選6番手を確保した。決勝レース1(21周)は9月1日(日)午前9時50分に始まった。6番グリッドの佐藤公哉はホイールスピンがやや過大で加速が鈍り、7番手で第1コーナーへ進入。5周終了時点と早めのピットストップでタイヤ交換義務を消化する作戦に出た佐藤公哉はその後、トップ3よりも速いラップタイムを刻みながら追撃した。13周目にはこのレースのファステストラップとなる1分17秒707を記録し、17周終了時点では5番手へ浮上。ところが18周目のコース半ばの中速コーナーで痛恨のコースアウト、クルマを安全に停止させるための砂利には捕まって身動きが取れなくなり、リタイアせざるを得なかった。決勝レース2(21周)は決勝レース1終了から約5時間後の午後4時10分にスタート。決勝レース1の結果に基づき佐藤は最後尾の14番グリッドからのスタートだったが、1周目の混戦の中で12番手まで浮上。さらには、4周目終了時点と早めのピットストップでタイヤ交換義務を済ませて追撃態勢に入った。佐藤公哉は上位のライバルよりも速いラップタイムを記録していたものの、7周目以降はタイトルを争うライバル、ギレッリの遅いペースに付き合わされた。表彰台に立った2位と3位のライバルに比べれば圧倒的にラップタイムが速かっただけに、5位という結果は非常に不満が残った。第7大会終了時点でのシリーズチャンピオンシップポイントは、1位ギレッリで191点、2位佐藤で180点、3位カンパーナで174点、4位カーティケヤンで170点となっており、この4人に絞られたドライバーズタイトル争いは、10月5〜6日に開催される最終大会チェコ・ブルノで決着する。佐藤公哉「練習走行の出来は、ソフトタイヤを履いたときのアンダーステアに悩まされて55%くらいでした。予選はクルマの出来うんぬんではなく、単に運がなかったというか狙いすぎたというか、ちょうどタイヤが最も良い状態に達した周に赤旗が出てしまいました。1セット目の新品ミディアムタイヤのときも、セクター1でファステストを記録していたのに赤旗に邪魔されましたし、2セット目の新品ソフトタイヤのときも、セクター1でファステストを記録していたのに赤旗に邪魔されました。残り5分で再度アタックしましたが、すでにソフトタイヤはピークを過ぎていて、満足のゆくタイムは出せませんでした。クルマは練習走行のときよりもアンダーステアが消えましたし、セットアップの変更も狙いどおりだっただけに残念です」「今週末、レースディスタンスにおいてのクルマの調子はすごく良かったと思います。実際に決勝レース1では、ファステストラップも取れました。決勝レース1のスタートは、ホイールスピンが多すぎて順位を落としました。それでも早めにタイヤ交換義務を消化して前後のラップで攻めれば順位を取り戻せると予想し、実際にそれを行ってなんなく成功しました。ピットストップ後のペースが速いのは、自分でも分かっていました。ただ、先を急がなくてはという状況だったので、かなり無理している感じはありました。タイヤ交換直後のカンパーナとビソイユを立て続けに抜くまでは良かったのですが、彼らとの競り合いの中で汚れた路面を走った影響もあったのかもしれませんが、18周目の中速コーナーでコントロールを失い、グラベルベッドに捕まってコース復帰は叶いませんでした」「最後尾スタートとなった決勝レース2は、ひとつでも順位を上げるため臨機応変に対応する作戦でした。スタートも決して良くはなく、それでも早めのタイヤ交換義務の消化で、ライバルのギレッリにすぐ追いつけました。ただ、ペースが遅くなっても絶対に前へは行かせないという走りに相手が徹していたので、抜くに抜けませんでした。こちらもこれ以上は傷口を広げられませんので、悔しいですがそのままの順位でも仕方ないと腹を決めました」