フェルナンド・アロンソは、2023年F1シンガポールGPでレースコンディションで10万kmを走破した史上初のドライバーとしてF1新記録を達成した。アロンソはすでにF1史上最も経験豊富なレースドライバーだが、マリーナ・ベイの16周目に新たな大きなマイルストーンに到達した。
しかし、2度のワールドチャンピオンであるアロンソとって、この日のレースは忘れたいレースとなった。ピットエントリーのラインを越えてトラックに戻ったために5秒ペナルティを受け、ライバルのエステバン・オコンに抜かれ、ピットストップに手間取り、スピンを喫し、最下位でサーキットを離れることになった。しかし今季は絶好調で、アストンマーティンとこれまでに7回の表彰台を獲得している。372戦を経験したアロンソはF1史上最も多くのレースに出場したドライバーであり、次いで引退したキミ・ライコネンが349戦、ルーベンス・バリチェロが322戦で続いている。2001年にミナルディからF1デビューを果たしてから22年以上が経過しているが、当時はまだ角田裕毅のように赤ちゃんだったドライバーもいれば、オスカー・ピアストリやリアム・ローソンのように生まれてすらいなかったドライバーもいた。それ以来、アロンソはF1に数々の遺産を残し、歴史上の偉大なドライバーたちと肩を並べることを証明してきた。F1最多シーズン記録(20シーズン)、表彰台から次の表彰台までの最多レース数(105戦)、モナコで表彰台を達成した最多チーム数(4チーム)など、信じられないような記録を保持している。アロンソは同世代で最高のドライバーのひとりとして歴史に名を刻んでいるが、その数字が彼を正当に評価していないと考える者は多い。20年以上のキャリアを持つアロンソなら、少なくとも4つか5つのタイトルを獲得しているだろうと予想する人もいたかもしれない。アロンソはルノーで2005年と2006年にタイトルを獲得したが、それ以降はタイトルを獲得していない。しかし、あと一歩のところまで迫ったことは何度もあった。2007年はマクラーレン内部の対立からハミルトンとアロンソのふたりはわずか1ポイント差でライコネンにタイトルを奪われた。その後、フェラーリに移籍したアロンソはベッテルとレッドブルの支配を打ち破ろうと最も接近し、2010年と2012年は最終戦までタイトルを争った。それぞれ4ポイントと3ポイントの差でタイトルを逃した。不運、あるいはチーム選び(アストンマーティンまでは、彼が去ったチームはすべて復活を遂げたように思えた)が、彼がこれ以上の成功を収められなかった要因のひとつとして指摘されている。とはいえ、トラック上で彼が常に実力を発揮してきたことは否定できない。