フェルナンド・アロンソが、F1マレーシアGP木曜日のFIA公式記者会見でプレシーズンテストでの事故について説明した。 クラッシュの衝撃で脳震盪を起こしたフェルナンド・アロンソは、医師の助言に従って開幕戦オーストラリアGPを欠席したが、衝撃を受けた直後に意識を失っていたとの報道を否定した。
フェルナンド・アロンソは、突風にあおられてコースオフしたとの推測や、チームの初期の報告は間違いだったと述べ、今は事故の状況をすべて覚えていると述べた。フェルナンド・アロンソは、マクラーレンのデータに記録されていないステアリングのトラブルが原因だったと考えている。 「事故のことは覚えているし、次の日のこともすべて覚えている。もちろん、チームも僕も原因究明に熱心だったし、FIAも同じだ」とフェルナンド・アロンソはコメント。「彼らはずっと協力的だった。3者で絶えず連絡を取り合っていた。データ上にはそれとわかるはっきりした記録はなく、それが理由だと断定はできない。でも、ターン3の真ん中で問題があったのは確かだ。ステアリングが右にロックして、ウォールに接近していった。直前でブレーキングして5速から3速にシフトダウンした。残念ながらデータ上ではまだ欠けている部分がある」 「残念ながら、クルマのその部分のデータ収集はあまり優先されていないので、今回のレースではいくつか新しいセンサーを付けたし、ステアリングとパーツにもいくつか変更が加えられた。それがメインで、先週のファクトリーではこのレースで使う新センサーや新パーツについてシミュレーターで説明を受けた」 フェルナンド・アロンソは、意識が戻った際に記憶がカート時代の1995年に戻っていたとの報道を否定した。 「普通の脳震盪とほとんど同じだ。脳震盪を起こして病院へ行った。病院に行くときの状態も問題はなかった。着いてから16時〜18時くらいに覚えていない時間帯があるけど、ヘリコプターに乗るためや病院でテストを受けるために受けた措置としては全て正常な反応だ。言った通り、全てが正常だった。1995年になんて戻っていないし、目が覚めてイタリア語で話したなんてこともない。メディアに書かれているようなことは何もなかった」 突風にあおられたというマクラーレンの当初の説明について、フェルナンド・アロンソは「それは違う。映像を見たかどうか知らないけど、あのスピードでマシンを動かすことはハリケーンでも無理だ。それに、何かの異常や医学的な問題があれば、体の力が抜けて真っすぐ外側に向かうはずだ。でも僕は内側に向かった。今でもF1マシンというのはステアリングホイールを切るのにそれなりの力がいる。それが1つだ 「正直な話、事故が起きた場所がスペインだったこともあって反響が大きくなったと思うし、あの日はすごく注目されていたので、チームの最初の会見は、僕のマネジャーやスタッフから情報を集めて、風やその他の可能性ついて推測するしかなかった面があると思う。それが少し混乱を招いた。でも、僕が全てを伝えるまで3日も4日も黙っているわけにはいかなかった。その間に騒動は大きくなってしまっただろうからね。彼らは風という理論を述べた。沈静化にはあまり役立たなかったけどね」事故についての詳細を聞かたフェルナンド・アロンソは、現場にマーシャルが到着する前にラジオとERSユニットのスイッチを自分で切ったことを明らかにした。 「全部覚えてる。長くなるから事細かには語らないけど、記憶は全てある。日曜日の朝はセットアップ変更とラップタイムに取り組んでいた」 「ターン3の前ではベッテルが僕の前にいたけど、シケインをカットしてピットレーンを出た僕を先に行かせてくれた。衝突した後、僕はしばらく壁に接触していて、ラジオがオンになっていたからスイッチを切った。それから、マーシャルがマシンに触れられるようにERSシステムを切るためのバッテリーのマスタースイッチを切った。そのときは完全に意識があった」 「意識を失ったのは救急車の中かサーキットのクリニックだ。でも、医師たちはこれは普通だと言っている。搬送のため、それから病院でチェックやMRI、評価を受けるための薬を投与されるからだ」説明のつかない事故の後でマシンを信頼できるのか質問されたフェルナンド・アロンソは、マクラーレンはマシンの安全を確保するためにあらゆる予防措置をとったと述べた。 「僕はチームを心から信頼している。彼らは1カ月間、クルマの全てのコンポーネントを調べ、影響をシミュレーションし、数多くのテストをして疑問のあるパーツを1つ残らず変えた。今は最も安全なマシンになったと思ってるくらいさだ。それに、1カ月たって僕は誰よりも医学的にチェックされ尽くしたドライバーになった。僕たちはどちらも大丈夫だ」
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