アルピーヌF1チームの代表を務めるオトマー・サフナウアーは、2000年代半ばにセバスチャン・ベッテルがホンダと契約していた可能性があり、もしその話が進んでいたら、F1キャリアは大きく異なっていただろうと明かした。セバスチャン・ベッテルは、2007年のF1カナダGPでクラッシュしたロバート・クビサの代役として次戦F1アメリカGPでF1デビューを果たし、当時のF1史上最年少入賞記録を樹立した。
レッドブルは、第11戦F1ハンガリーGPからスコット・スピードに代えてセバスチャン・ベッテルをトロロッソに配置し、2008年のF1イタリアGPで、21歳72日でF1史上最年少ポールポジション、21歳73日で当時の最年少優勝・最年少表彰台および最年少ポール・トゥ・ウィンを記録した。2009年にレッドブル・レーシングにステップアップしたセバスチャン・ベッテルは、2010年から2013年の間に4回のF1ワールドチャンピオンシップを獲得。その後、フェラーリとアストンマーティンでのスティントを経て、今シーズンの終わりにF1から引退することを発表した。しかし、かつてホンダF1で管理職を務めていたオトマー・サフナウアーは、セバスチャン・ベッテルから打診があったことを明かし、その方向に進んでいれば、ベッテルのキャリアは最終的なサクセスストーリーとはかけ離れていた可能性があると示唆した。「彼のことは18歳か19歳の頃から知っている」とオトマー・サフナウアーは説明した。「私はホンダ・レーシングにいて、スポーツ・ディレクターにジル・ド・フェランがきたばかりだった」「セブが私のところに来て、『2週間のウィンドウがある...』と言ったが、彼は若かった…私は彼が何歳だったか覚えていなかった。彼は『2週間のウィンドウがあり、レッドブルとBMWの両方の契約が切れる。私と契約することに興味がある?』と言ってきた」「彼は当時未知数だったが、私は『ああ、この子はいい』と思っていた」「それでギルのところに行き『セバスチャン・ベッテルとの契約まであと2週間だ』と言ったら、彼は『心配しなくていい。彼には注目している』と言った」「私は「彼に注目しているとはどういうこと?』と聞くと、彼は「我々には2週間ある!』と言った」「いずれにしろ、我々は彼と契約しなかった」ホンダは、2008年末に第3期のF1活動を終了している。