2006年のF1世界選手権ではスーパーアグリのドライバーである井出有治にスーパーライセンス剥奪という前代未聞の処分が下された。オールジャパンを旗印に立ち上げたスーパーアグリF1チームは、佐藤琢磨のチームメイトとして、前年フォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)をランキング2位で終えていた井出有治を起用した。
当初、ホンダF1チームのシャシーの流用を目論んでいたスーパーアグリだったが、コンコルド協定の“参戦中のチームのローリングシャシは使用できない”という原則をクリアする説明を見つけられずに断念。2002年にアロウズが使用していた『A23』をベースにして2006年のレギュレーションに適合させた『SA05』を開幕からの数戦の為に製作することとなった。佐藤琢磨が使用したシャシーはミナルディオーナーのポール・ストッダートから買い取ったもの、井出有治のシャシーは約3年間メルボルン空港に屋外展示され雨風に晒されていたものだった。満足なテストもできない4年落ちのシャシーを改造した急造マシンである『SA05』は、当然ながら、他チームと比較してパフォーマンスも信頼性も劣っていた。佐藤琢磨でも完走がやっという状況で、ぶっつけ本番でのF1デビューとなった井出有治にとっては厳しい状況だった。予選では現在規定されている107%以内のタイムを記録することはできなかったそのよな状況のなか、第3戦オーストラリアGPでは初完走を果たした井出有治だったが、第4戦サンマリノGPでは1周目にクリスチャン・アルバース(MF1)と接触し、アルバースのマシンは横転しリタイアとなった。FIA(国際自動車連盟)は、第5戦ヨーロッパGPの前週に第4戦サンマリノGPにおける井出有治のクリスチャン・アルバースとの接触及び開幕3戦のパフォーマンスに関して、スーパーライセンス取り消しも視野に入れた審議をしているとスーパーアグリに通知。さらに、スーパーライセンスが取り消される前に井出有治をレースドライバーから外すよう勧告した。スーパーアグリはすぐにFIAと連絡を取り、チームとしてはヨーロッパGPでは井出有治を走らせたい意向を伝えたが、FIA側で決めることであるという返事が返ってきただけのみ。そのため、チームはスーパーライセンス取り消しという最悪の事態を避けるために、断腸の思いでヨーロッパGPから井出有治をはずす決定をし、井出が一日でも早くレースドライバーとして復帰するための計画を立てるべく、全力をあげることにした。チーム代表の鈴木亜久里はドライバー交代について「我々は、井出がF1の経験を積むためにチームのテストに限り走行させるというFIAのアドバイスを受け入れることにした。チームは今まで彼がF1という新しい環境でうまくやって行けるように最善の配慮をしてきたし、また井出もいろいろと難しい環境のなか、とてもよく頑張っていた。チームとしては、シーズン前にもっときちんとテストをさせてあげたかった。今後に関しては早くF1のドライバーシートに復帰できるよう精一杯協力をしていきたい。今回の判断により、ヨーロッパGPではフランク モンタニーがセカンドドライバーとして参戦することになった」と語っている。しかし、その甲斐もなく、その後FIAは井出有治のスーパーライセンスを取り消す旨をチームに通告した。鈴木亜久里は「今回の件はとても残念でなりません。FIAにはなんとかならないかと交渉を続けましたが、厳しい判断が下されてしまいました。FIAからは井出のスーパーライセンスの再取得の可能性を否定されているわけではありませんので、今後もチームとしては井出のためにできる限りのことをやっていきたいと考えています」と語った。その後、株式会社エー・カンパニー(SUPER AGURI F1 TEAM)のマネージメントドライバーとしてフォーミュラ・ニッポンや鈴鹿1000kmレースに参戦したが、F1グリッドに戻ってくることはなく、井出有治のF1ドライバーとしてのキャリアは4戦で終わることになった。F1のシーズン途中にスーパーライセンスの剥奪処分を受けたのは、井出有治が史上初であり、以降は起きていない。