エディ・ジョーダンが、1998年のF1ベルギーGPで弟のラルフ・シューマッハへのチームオーダーを巡ってミハエル・シューマッハと口論になった逸話を明かした。雨のスパ・フランコルシャンでスタート時に12台が絡むF1史上最大の多重クラッシュが発生した1998年のF1ベルギーGP。レースではデイモン・ヒルが優勝、2位にラルフ・シューマッハが入り、ジョーダンは参戦8年目にして悲願の初優勝を1-2フィニッシュで飾り、無限ホンダエンジンにとっても1996年モナコGPでのオリビエ・パニス以来の2勝目となった。
このレースでの話題は、当時フェラーリのミハエル・シューマッハが、デビッド・クルサードを抜こうとしてクラッシュ。シューマッハはマシンを降りぬなり怒りの形相でマクラーレンのガレージに向かってクルサードに俺を殺すつもりか」と罵倒シーンだった。しかし、その後、ミハエル・シューマッハはジョーダンのガレージにも向かっている。レースではラルフ・シューマッハの方が速かったが、デイモン・ヒルを抜かないようチームオーダーが出されていたことに抗議に向かったのだ。エディ・ジョーダンは「デイモンは勝つはずではなかった。ラルフの方が速かったから? もちろんだ。私は彼に追い越させなかった。彼が追いしてはいけないことを非常に明確にしていた」と Irish Independent にコメント。「その後、ミハエルがやって来た。彼は勝つはずだったし、ラルフのことで怒っていた」ミハエル・シューマッハは、ジョーダンでF1デビューを果たしたものの、デビューレースで大きなインパクトを残し、1戦でベネトンへと移籍している。「私は『見てみろ。ラルフは何年も私のためにドライブしているし、私は君のことは見ていなかった。最後に君を見たのはベネトンに出て行ったときだ。君は頭がいいと思ったよ。私も君のおかげでお金を得ることができたがね。今すぐ出ていけ!』と言ってやった」「彼は『弟は来年あなたのために走ることはないだろう』と言っていたよ」「私は『少しアドバイスをさせてもらおう。文書がある。それは契約書と呼ばれている。ラルフは来年私と契約を結んでいる。その契約には買収条項がある。なので、金を払えば、君の弟を連れていける』と言ってやったよ」
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