ダニエル・リカルドは「ハニーバジャー」というニックネームの由来を明かし、その動物が自分と不気味なほど似ていたことから来ていると語った。オーストラリア出身のリカルドは現役時代、スポーツ界で最も大きなスターの一人だった。2014年にレッドブルでの初シーズンを迎えると、当時のチームメイト、セバスチャン・ベッテルを上回る成績を収めて一気に頭角を現した。
リカルドはコース外では陽気なキャラクターとして知られていたが、ヘルメットをかぶると全く別人のように変わった。また、わずかなチャンスしかない場面で勝利を奪い取る臨機応変で冷徹な能力が、この「ハニーバジャー」という名前を彼に結びつける要因となった。アフリカ、南西アジア、インド亜大陸に生息するハニーバジャーは、その攻撃性、強さ、タフさで知られており、非常に厚い皮膚は様々な毒針や咬傷にも耐えることができる。リカルドにとっては、まさに“コックピットに入ったときの別人格”を体現する存在だった。このニックネームはキャリアを通じてリカルドにつきまとい、昨シーズンで事実上最後のF1レースを終えるまで続いた。オーストラリアで開催されたRay WhiteのConnectカンファレンスで、なぜその名前が付いたのかと質問されると、リカルドはこう答えた。「ハニーバジャーは抱きしめたくなるように可愛くて、めちゃくちゃイケてるんだ」と笑いながら切り出した。「でも、自分のものを奪われたら反撃する。ハンドルを握った時の僕の別人格みたいなものだったんだ」さらにこう続けた。「子供の頃から競争心はあった。何をするにしても常に負けず嫌いだったんだ。でも“キラー・インスティンクト(勝負師の本能)”は自分の中から引き出すために努力して身につけなければならなかった。僕はもともと気楽な性格だからね」ブラジルGPのリカルド(レッドブル時代)、マシンを守るハニーバジャーのマスコットが撮影された「ハニーバジャー」な姿勢を育てたトレーニング意外なことに、この“ハニーバジャー的”な資質は自然に備わったものではなく、トレーナーとともに磨き上げたものだとリカルドは明かした。若い頃、トップドライバーたちが常に持っているその本能を見て、自分も武器として加える価値があると感じたという。「当時の最初のトレーナーの一人、スチュ・スミスが本当にその部分を引き出してくれたんだ。努力は必要だったけど、一度解き放つと気持ちよかった。“たまには悪役になるのも悪くない”ってね」さらにこう語った。「僕にとっては常にタフでいようとするのは不自然だから、余計にエネルギーを使ってしまっていた。他のドライバーたちが朝から晩まであのキラーインスティンクトを持ち続けているのを見て、羨ましいと思ったよ」「人々は僕が笑って冗談を言っているのを見て、それを弱さと受け取って僕を過小評価していたと思う。でも僕はヘルメットをかぶると“さあ、他の連中みたいにタフになろう”と思った」リカルドのレースクラフトと挑戦心リカルドのキラーインスティンクトは、キャリアを通して数々の豪快なダイブや大胆なオーバーテイクで最もよく表れていた。「単独で走れば速いドライバーは大勢いる。でも20人と一緒に走れば、そこではレースクラフトがものを言う。その中でオーバーテイクは大きな要素だ」と彼は強調する。「恐怖を伴うこともある。不確実性とリスクがあるからね。3位を走っていて“このまま表彰台だ、クラッシュのリスクを取るべきか?”と思うかもしれない。でもそれが一番楽しいんだ。僕は常に“挑戦しないよりクラッシュする方がマシだ”と考えていた」「そのうち、それは本能になった。上手くいかなければ、それでも挑戦したことを誇りに思えた。僕はそれが大好きだったし、ライバルたちも僕が来れば仕掛けてくると分かっていた。だからすでに一歩リードしていたんだ」F1を離れての「自己探求」リカルドは最近、F1を離れて以来の「自己探求の旅」についても明かし、「レーシング以外の自分を模索している」と36歳になった心境を語っている。約15年にわたるF1キャリアで、リカルドは257戦に出走し、3度のポールポジション、8勝、32回の表彰台、そして1300点以上の獲得ポイントを積み重ねた。参戦チームはHRT、トロ・ロッソ(後のアルファタウリ/RB)、レッドブル、ルノー、マクラーレンと幅広く、キャリアの随所で「ハニーバジャー」の名にふさわしい闘志を示した。