ジェームス・ボウルズが、ウィリアムズ・レーシングでF1チーム代表に就任する前のメルセデス時代の「最大の後悔」を口にした。2001年にBARレーシングとしてチームに加わった後、ジェームス・ボウルズはホンダとの苦難の時期やブラウンGPでのタイトル獲得期を経て、メルセデスに売却されたチームに在籍した。
ボウルズは2014年から2021年にかけてメルセデスの成功を支えた中心人物のひとりだが、それ以前の2010年から2013年にかけてチームはタイトル争いに苦戦していた。7度のF1ワールドチャンピオンであるミハエル・シューマッハは、2013年にルイス・ハミルトンと後退して2度目で最後の引退をするまでチームを率いていた。ボウルズはHigh Performance Podcastで当時の時期の後悔のひとつをこう振り返った。「ワールドチャンピオンになるための特徴なんてほとんどない。ミハエルはニコにハードワークの仕方を教えた」「マイケルはクルマの中で最もスキルが優れていたわけではな。それはルイスだった。だが、彼は自分自身とチームからあらゆるミリ秒を引き出す方法を知っていた」「彼が『こっちへ行く』と言えば、チームはそれについていくようなリーダーだった。ガレージの両側が彼の活躍を望んでいたほどだ。私のキャリアの中で後悔しているのは、彼のために勝利を得られなかったことだ。今でも私を傷つけている。彼は勝利に値した」ボウルズ 「ミハエルは舞台裏では違っていた」ミハエル・シューマッハは2012年のモナコGPでポールポジションを獲得し勝利に近づいたが、前戦バルセロナでブルーノ・セナと接触しグリッドペナルティを受けた。最終的に155回目の表彰台を手にしたのはその年のバレンシアGPで、優勝したフェルナンド・アロンソとキミ・ライコネンに次ぐ3位でフィニッシュした。成功には恵まれなかったものの、ボウルズはミハエル・シューマハと仕事をした期間を懐かしそうに振り返る。「私は彼と一緒にサーキットをバイクで走りに行った。ポール・リカールでは、人生で最高の時間を過ごした。それから何年も経っても、そのことを笑い話にしていた」「彼は私のパートナーの誕生日を知っていて、彼女に花を贈ってくれた。私はあまり何もしてこなかったので、それは私を興奮させた。でも彼は、あなたがどんな人なのか、家族はどんな人なのか、何があなたを突き動かしているのか、純粋に興味を持ってくれた。それは難しいことだ。彼は自分が優位に立ちたいからそうしているのではなく、気にかけているからそうしているんだ」「メディアで見るミハエルは、舞台裏のミハエルとはまったく異なっていた。そして、それが彼のやり方だった。彼はみんなを旅に連れて行き、必要なだけ遅くまで、必要な時間ごとに働く。それが彼のやり方だった」「ニコは彼から非常に多くのことを学び、それが最終的にワールドチャンピオンになったニコを形成した。他のすべてを犠牲にしてでも、できることをすべて絞り出すということだ」