ニキ・ラウダの担当医師は、一時、ラウダは人工心肺装置のように機能するポンプでしか生存できない状態だったが、6時間の肺移植手術によって回復について楽観的であると述べた。3度のF1ワールドチャンピオンであるニキ・ラウダが8月2日(木)にオーストリアのウィーンで肺移植手術を受け、無事に成功したことを手術を担当したウィーン総合病院が発表された。
報道によると、ニキ・ラウダは最近スペインのイビサで家族と休暇中に病気を患い、“重度の咳”に悩まされたため、休暇を切り上げてウィーンへと戻っていたという。ウィーン総合病院は年間おおそ120回の肺移植を行っている実績があり、医師によると、当時のニキ・ラウダの容体は“かなり深刻”だったと語った。ウィーン総合病院の胸部外科部長のウォルター・クレペトコは「過去7日間、ラウダ氏はポンプでしか生き続けることができませんでした」とコメント。また、ウォルター・クレペトコは、肺移植手術を行わなければ、そのような状況での余命は数日、もしくは数週間だったと述べた。「決して簡単とは言えない状況だったことを考慮すれば、我々は進展に非常に満足しています」8月6日(月)にウィーン総合病院が発表した声明では、手術後24時間が経過した時点でニキ・ラウダは完全に意識があり、抜管して自発呼吸が可能な状態にあると述べた。「術後、継続して改善が見られています。すべての臓器が良好な状態です。患者は完全に回復するまでウィーン総合病院で治療を継続していきます」報道によると、ニキ・ラウダは完全に回復すれば数週間で仕事に復帰できるようになるという。メルセデスのモータースポーツ責任者を務めるトト・ヴォルフは、ニキ・ラウダの素早く回復し、レースの現場に復帰することを願っていると述べた。「世界はニキが驚異的なパワーと回復力をもったF1のレジェンドであることを知っている」とコメント。「メルセデスの我々全員にとって、彼はチェアマン、メンター、そして、友人だ。彼がグランプリトラックに我々と一緒に戻ってくるのが待ち切れない」1975年にフェラーリで初のF1ワールドチャンピオンを獲得したニキ・ラウダは、1976年にニュルブルクリンクで開催されたドイツGPでのクラッシュでマシンが炎上。頭部に大火傷を負い、FRP製のボディーワークが燃えて発生した有毒ガスを吸い込んだため、肺に深刻なダメージを受け、生死の境をさ迷った。しかし、事故発生から6週間後のF1イタリアGPで奇跡のレース復帰を果たし、4位入賞を果たした。その年は1ポイント差でタイトルを逃したものの、翌1977年に2度目のタイトルを獲得。1984年にはマクラーレンで3度目のF1ワールドチャンピオンを獲得している。1976年のジェームス・ハントとのライバル関係は「ラッシュ/プライドと友情」で映画化されている。