フェリペ・マッサが、F1での最後のレースとなるF1アブダビGPを前にF1公式サイトのインタビューでこれまでのF1キャリアを振り返った。フェリペ・マッサは、今週末のアブダビGPでグランプリ250戦を戦ってF1キャリアにピリオドを打つ。質問は最後の母国レースとなった前戦ブラジルGPについてからスタートした。
———フェリペ、サンパウロはあなたにとって非常にエモーショナルなレースでしたね。おそらく、あなたがF1レースから引退するということを実感させれたことでしょう。幸せですか? 悲しいですか? それともその間ですか?「そうだね、その間かな。自分の決定にはもちろん満足している。でも、寂しくなるかもしれないことにも気づいた。僕は運転が大好きだ。でも、正しい行為だと確信もしている。人生の次のステップのための準備はできている」———あなたにはあと1レースあります。そのあと、フェリペ・マッサのF1は終わります。アブダビ後の月曜日はどのような気持ちになるでしょう?「安心していると思うよ。確かに寂しくはなるだろうけど、そうではないことも同じくらいあると思う。運転すること、競争することを恋しく思うだろう。長い間、競争の世界に身を置いていると、それが第2の本性になる。確かに辞めることはある種の空洞を作り出すだろう。だから、他のことでその空洞を埋めなければならないだろうね」———振り返れば、あなたは多数のワールドチャンピオンと戦ってきました。ミハエル・シューマッハ、ジャック・ヴィルヌーヴ、フェルナンド・アロンソ、キミ・ライコネン、ジェンソン・バトン、セバスチャン・ベッテル、ルイス・ハミルトン。彼らのうちの何人かはチームメイトでもありましたね・・・「僕が競争が恋しくなるだろうと言うのはそういう意味だ。最高のドライバーと張り合うというね。F1を作っているテクノロジーに関与しないことも寂しいね。新しいレギュレーション変更があるたびに、自分の感覚を研ぎ澄まさなければならない。でも、そのすべて置いてくる準備はできているよ」———寂しく思わないことは何ですか?「例えば、シュミレーター作業かな。あと、移動が多すぎること。誤解しないでほしいけど、旅行するのは好きなんだ。でも、最近は純粋に多すぎる。それに些細なことだけど、自分自身をキープすることかな!(笑) 自分の決定を誇りに思っている。サンパウロでパドックに歩いて戻っているときでさえ、圧倒された。あの瞬間のファンの反応は鳥肌が立った。自分のキャリアを誇りに思わせてくれたね」———関連する楽しみもありましたか? おそらくあなたはF1で人生における最高の年月を過ごしたと思います。若して成功を収め、財政的にも裕福でした。どのような楽しい瞬間が思い浮かびますか? ミハエルとも?「そうだね、ミハエルは本当に楽しかった。大部分はマドンナ・ディ・カンピーリオでのフェラーリの冬のイベントで起こっていたね! “プロの楽しい時間”だ! 雪の上でクルマでドーナツターンをしたり、アノラックの下にウォッカのボトルを忍ばせて斜面を下ったり。温かくしておくためにね・・・———キミ・ライコネンについてはいかがですか? 彼もチームメイトでしたし、パドックで最もおかしな男でもあります。必ずしも彼がという意味ではないですが。彼についての逸話はありますか?「正直、彼と仕事をするのはちょっと大変なときもあったね。彼は話すことにあまり興味がないからね!(笑) シンプルな“ハロー”とか“グッドモーニング”でも、彼にとってはやり過ぎなことがある。でも、異なる捉え方をしてほしい。僕たちはほぼ全てについて完全に違うけど、彼はとてもフェアだ。そこが僕たちを保つ接着剤だった。ちょっとボッタスに似ているね。ボッタスはキミよりも話をするけどね! でも、同じメンタリティだ。フェアでリスペクトしているという点でね」———そのように聞くと、あなたは常にチームメイトを好んでいたようですね。そうでしたか?「個人レベルではそうだね。でも、もちろん、プロフェショナルなレベルでは競争もある。自分が後ろにいるときは幸せではない。もちろん、よりいい結果を出したいものだし、ライバル関係もある。僕のキャリアではずっと“健全”なライバル関係だったよ」———ガレージの隣にいたなかでは誰と最も親しかったですか?「ミハエルだね。彼は様々な点で僕の師匠だった。確かに彼の前にいたいとは思っていたけど、僕はずっと彼のことをアイドルのように見ていた。『あなたのようになりたい!』というような感じでね。たぶん、彼は僕のことを助けたくなる小さな男のように見ていたと思う。他のチームメイトとは非常に異なる関係だった。モンツァで自分の引退を発表したのもそれが理由なんだ。それに纏わるストーリーがある。キミはすでに実際にフェラーリで走る前に彼らと2年契約を結んでいた。僕がフェラーリに留まる唯一の方法はミハエルが引退することだった。そして、彼はそうした。2006年のモンツァでね。彼はちょっと疲れていたのかもしれない。そして、『フェリペは良い仕事をしているので、彼に残るチャンスを与えよう』と考えてくれたのかもしれない。わからないけど、それが10年後の2016年にモンツァで発表した理由だ」———単純な若手ドライバーから、幸せな気持ちと笑顔でF1に入って、より厚顔で、チーム、チームメイト、メディアに容赦ない誰かに変わったときのことを覚えていますか?「振り返れば、僕は常にメディアに対してかなりオープンだったと思う。フェラーリにいたときはちょっと注意していたけどね。話すことに多くのオーダーがあった。ついでに言うと、それは好きではなかったね。でも、僕はチームの一員だったし、彼らのオーダーを尊重していた」———F1での15年間を振り返って、心地よくないに感じたときはありましたか?「フェラーリでの最後の年かな。疲れていたし、モチベーションも下がっていた。そのような状況では『自分は素敵すぎるのかもしれない!』と考えていたよ。人生の他の多くの分野ではそれを埋め合わせることができるのはわかっている。でも、おそらくF1ではそうとは限らない。このスポーツでは攻撃的である必要があるので、いくつかの機会を逃したかもしない。でも、...
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