ホンダが2008年のF1世界選手権に投入したF1マシン『ホンダ RA108』は、その“醜悪なダンボウイング”の印象だけを残して、ホンダの第3期F1活動の最終マシンとなった。2006年にホンダはBATが所有する株式を取得し、ワークスチームとしてF1への参戦を開始。F1ハンガリーGPではジェンソン・バトンが優勝し、オールホンダとして39年ぶりの勝利をもたらし、次年度以降に期待を抱かせるスタートを切った。
ホンダF1は2007年にむけて新しいフルスケールの風洞施設を活用して新車『ホンダ RA107』を開発したが、開発に失敗。コーナー進入時にアンダーステア、出口ではオーバーステアと空力的に敏感すぎるマシンとなり、わずか6ポイントしか獲得できなかった。ホンダは2017年11月にチームプリンシパルとしてロス・ブラウンを招聘して巻き返しを図ったが、すでに開発が進められていた2008年マシン『RA108』のベース部分に関わることはできなかった。カラーリングは、前年にグリーン・アワード大賞を獲得した「myearthdream」を進化させた「earthdreams」とし、黒ベースから白ベースへと変更された。ロス・ブラウンは、RA108の発表時に次のようにコメントしている。「RA108の空力レイアウトとメカニカル構造は、今までのマシンと異なるコンセプトで設計した。特に、空力パーツのパッケージングや性能をより柔軟に調整でき、シーズン中のアップデートもよりスムーズにできるデザインにしている。安定した、高い効率の空力性能を引き出すことに焦点を絞り、車体のレイアウトを、空力パーツやサスペンションに対して、いかに最適なコンビにまとめるかに集中した。これにより、更なる開発に対してアップデートが可能となるため、実際には、今日の車と比較して、開幕戦メルボルンまでに空力パッケージがさらにアップデートされるだろう」「2008年の目標は、2006年シーズンの後半のような安定的に毎戦ポイント獲得を狙えるだけの実力を十分に確保すること。まずそれを達成し、さらに高いレベルを目指したい。私がホンダに加わってから、チームのリソースと仕事の進め方を理解し、どうすれば進化できるかに、自らの焦点を絞った。期待に添えず残念な結果に終わった2007年シーズンを経験し、目標に向かって絶え間ない努力を続けたチームのメンバーに感謝している。新しいマシンがどれだけ進歩するかは、様子を見る必要があるが、このチームには目標を達成できる素質がある」だが、現実は甘くはなかった。第8戦までの入賞はルーベンス・バリチェロが6位と7位を1回ずつ、ジェンソン・バトンが6位1回と低迷。第9戦イギリスGPではバリチェロが3位を獲得し、チームにとって2006年最終戦以来、1年8カ月以上ぶりとなる表彰台をもたらしたが、これは雨絡みのレース展開でもたらされたものだった。最終的に14ポイントの獲得でランキング9位でシーズンを終えた。ホンダは、シーズン中に空力アップデートを投入して巻き返しを図るが戦闘力を高めることはできなかった。特にインパクトを残したのが“ダンボウイング”だった。形状がディズニー映画『ダンボ』に登場した象の耳を思わせたことそう呼ばれた。ノーズ上面に配置されたこのウイングレットは、“ホーンウイング”としてマクラーレンやBMWも投入していたが、ホンダよりもマシンに融合されたデザインだった。他にもエンジンカウルの側面の“エレファントイヤー”“シャークフィン”など、当時のトレンドだった空力パーツも導入されたが、事実上、来季にむけてRA108の開発は早々に終了していた。富士スピードウェイで開催された第16戦日本GPの前の記者会見での首脳陣のコメントがホンダの苦戦を物語っていた。中本修平は「昨年のマシンは空力に大きな問題を抱えていて、エアロのチームを作り変えた。結果的に、開発のスタートが遅れてしまった。その遅れが、シーズンの前半のレース成績に影響が出てしまった。その遅れをロスを中心にキャッチアップし、エアロのアップデート、メカニカルのアップデートを続けてきて、クルマは仕上がりつつあるが、持っている力を100%出し切れていない。それがレース結果になってしまっている」と元気なく語った。ロス・ブラウンも今シーズンの結果を“残念な結果”と表現するが“やむを得ない犠牲だった”と語った。「私自身、チームの仕組みを理解する上で重要だったし、様々な補強を図ってきたし、チームが力を発揮できる体制を練ってきた。期待通りのマシンではなかったが、犠牲を払う必要があった」と準備の1年だったことを強調した。だが、時はすでにリーマン・ショックが自動車メーカーに大きな打撃を与えていた。そして、ホンダは12月5日に緊急記者会見を開き、F1から撤退することを発表した。F1撤退のプレスリリーズでホンダは以下のように述べている。「私どもホンダは、このたび、2008年をもってF1レース活動から撤退することを決定いたしました。サブプライム問題に端を発した金融危機と、それらに伴う信用危機、各国に広がった実体経済の急速な後退により、ホンダを取り巻くビジネス環境は急速に悪化してきています。当面の世界経済は不透明さを増すばかりであり、回復にはしばらく時間がかかることが予想されます。ホンダはこの急激かつ大幅な市場環境の悪化に対し、迅速かつフレキシブルに対応をしてきましたが、将来への投資も含め、さらに経営資源の効率的な再配分が必要との認識から、F1活動からの撤退を決定いたしました。今後のHonda Racing F1 Team、英国でエンジンの供給を行ってきたHonda Racing Development Ltd.については、チーム売却の可能性も含め従業員と協議にはいります。ホンダは第3期のF1活動として、2000年よりB・A・Rとの共同開発という新しい形での参戦をいたしました。その後のF1を取り巻く環境変化により2006年よりホンダが100%出資するチームとしての運営に移行しました。最高峰のレースへの挑戦は、思いのほか厳しい道のりでしたが、多くの応援を頂き、2006年に貴重な1勝をあげることができました。頂いたご声援に十分お応えすることなく撤退の決定をすることは大変困難をともなう決断でした。今後は、この激動の時代を生き抜き、レースで培われたチャレンジング・スピリットをもって、様々な新たな課題に引き続き挑戦し続けてまいります。これまで、ご声援をくださった多くのファンの皆様、そして活動を支えてくださったF1界の皆様に対し、心よりお礼申し上げます。ありがとうございました」最終的にホンダF1チームは、ロス・ブラウンに事実上譲渡され、2009年にブラウンGPはホンダが...