角田裕毅は、2025年F1モナコGPで自身通算95回目の決勝スタートを果たし、片山右京が保持していた日本人ドライバー最多決勝スタート数に肩を並べた。2021年にF1デビューを果たして以降、角田裕毅は着実にキャリアを積み重ね、2025年シーズンからはレッドブル・レーシングの正ドライバーとしてトップチームの一員に名を連ねている。
この節目となる記録は、日本人ドライバーの歴史に新たな1ページを刻むものであり、F1における日本人の存在感を改めて印象づける出来事となった。なお、角田裕毅は神奈川県相模原市出身で、高校時代は日本大学第三高等学校から和光高等学校へ転校している。奇しくも、日大三高は片山右京の母校であり、和光高等学校は佐藤琢磨の母校でもある。3世代のF1日本代表が、それぞれの足跡でつながる形となったのは興味深い事実だ。次戦以降もスタートを重ねれば、角田が単独で日本人最多スタート記録保持者となる見通しであり、その走りは今後の世代にも大きな影響を与えることになるだろう。日本人F1ドライバーの出走回数 上位5名■ 1位 片山右京 :97戦出走(95スタート)■ 2位 角田裕毅 :96戦出走(95スタート)■ 3位 佐藤琢磨 :90戦シュッソウ(90スタート)■ 4位 中嶋悟 :80戦出走(74スタート)■ 5位 小林可夢偉:76戦出走(75スタート)各ドライバーのF1時代プロフィール■ 片山右京1992年にヴェンチュリ・ラルースからF1デビュー。1993年からはティレルに加入し、日本人初のフルシーズン参戦ドライバーとして活躍した。ベストリザルトは1994年ブラジルGPでの5位。堅実な走りとファンへの真摯な姿勢で高い人気を誇った。■ 角田裕毅2021年にアルファタウリからF1デビュー。持ち前のアグレッシブなスタイルと成長意欲で注目を集め、2025年にはレッドブル・レーシングに昇格。2024年日本GPでの4位入賞など着実に実績を積み重ねている。■ 佐藤琢磨2002年にジョーダンからF1デビュー。2004年にはB.A.Rホンダで表彰台に登壇し、2006年からは日本のスーパーアグリで奮闘。攻めのドライビングで知られ、「No Attack, No Chance」のフレーズで多くのファンに愛された。■ 中嶋悟1987年にロータスからF1デビューし、日本人初のフルタイムF1ドライバーとなった。ティレル移籍後も安定したパフォーマンスを見せ、1989年オーストラリアGPでは日本人初のファステストラップを記録した功績を持つ。■ 小林可夢偉2009年にトヨタからスポット参戦でF1デビュー。2010年からはザウバーに加入し、2012年日本GPでの3位表彰台は大きな話題を呼んだ。以降もケータハムで参戦するなど、果敢なオーバーテイクで人気を集めた。出走数とスタート数が異なる理由F1では「出走数(エントリー数)」と「スタート数(決勝スタート数)」は別の記録として扱われる。出走とはそのグランプリに正式登録され、予選または決勝への参加を前提とした記録だが、実際に決勝レースのグリッドに並びスタートしたかどうかで「スタート数」は決まる。以下のような状況では、出走記録はあるがスタートにはカウントされない:・ フォーメーションラップ前にマシントラブルなどでリタイアした場合・ フォーメーションラップ中にマシンが停止しスタートに至らなかった場合・ 決勝に進出できなかった(予選失格など)場合・ 決勝直前に体調不良やチーム判断で出走が取り消された場合このため、実際のF1記録においては「出走数>スタート数」となることがあり、記録を見る際は両者の違いに留意が必要である。