トヨタF1撤退による小林可夢偉のF1キャリアを救ったザウバーのチーム代表ペーター・ザウバーは、小林可夢偉が強力なスポンサーのバックアップなしにF1に到達した初の日本人ドライバーだと評価している。当時、長年にわたりトヨタの支援で育成されてきた小林可夢偉は、負傷したティモ・グロック代わって数回の見事なパフォーマンスでF1界に強い印象を与えたばかりだった。
ザウバーは、2011年も小林可夢偉を残留させることをすでに発表している。「彼は資金を持ち込まずにF1チームに加わった最初の日本人ドライバーだ」とペーター・ザウバーは Turun Sanomat にコメント。「彼はドライブ能力のおかげでF1にいる」今週末の鈴鹿で開催される初の母国グランプリを前に、小林は1年前、金曜日のフリー走行で病気のグロックに交代したときのことを思い出している。彼は「ジェンソン(・バトン)はチャンピオンシップのために戦っていました。でも僕は自分の人生のために戦いました」と語った。「頂上まで登るか、大きくて深い穴に落ちるか、登山家のような気持ちでした。それ以外の選択肢はありませんでした。」「チャンスを手にしたとき、これを利用しなければ僕のF1でのキャリアは始まったと同時に終わるとわかっていました」彼は、自身は普通の日本のレーシング・ドライバーの型に当てはまらないと認めている。「僕の家族はモータースポーツと一切関わりがありません。父は寿司屋を営んでおり、車を持ったことがありません」17歳でヨーロッパに渡り、フランスとイタリアで生活している小林可夢偉は「僕が9歳でカートに興味をもったとき、F1が存在することすら知りませんでしたからね」関連:小林可夢偉、2011年もザウバー残留が決定 - 2010年9月7日
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