佐藤琢磨が、インディカー初優勝を果たしたロングビーチ市街地特設コースで開催されたインディカー・シリーズ第3戦のレース週末を振り返った。最後に佐藤琢磨が優勝したのは2001年11月のマカオGPのF3レース。このシーズンはイギリスF3で12勝を挙げてタイトルを勝ち取っただけでなく、マスターズF3でも栄冠を手に入れた。同じ頃、AJフォイトのチームはオーバルコースだけを転戦する初期のインディカー・シリーズにエントリーしていた。
フォイトのチームが最後に勝ったのは2002年7月のこと。コースはカンザス・スピードウェイで、ドライバーはブラジル出身のエアトン・デアだった。このとき、佐藤琢磨はF1初年度のシーズン半ばをジョーダンとともに戦っている。オーバル以外のコースにおけるフォイト・チームの優勝となると、さらに時代をさかのぼらなければならない。それは実に1978年9月、イギリスで2連戦を行った最初のレース(サーキットはシルヴァーストーン)でAJ自身が優勝したのが最後となっているか。佐藤琢磨は、IZODインディカー・シリーズで過去3年間にわたって何度も速さを見せつけながら、そのたびに不運に泣かされてきた。だが、52戦目にしてAJフォイト・レーシングのダラーラ・ホンダを駆って悲願の勝利を手に入れたのである。それだけでなく、これは日本人ドライバーにとってもインディカー・シリーズにおける初の快挙だった。いや、対象をアジア人全体に広げても、これほどレベルの高いオープンホイールカーレースで勝利を挙げたドライバーはこれまでいなかった。今シーズン、佐藤琢磨は開幕2連戦が行われたセントピーターズバーグの市街地コースでもバーバーのロードコースでも速さをみせていた。「自分たちが望むようなスピードを手に入れていました。僕たちはセントピーターズバーグでコンペティティブだったし、バーバーでも充分にコンペティティブでした」「まずはロングビーチのスタンダード・セットアップに仕立てて、どんな様子かを確認しました。最初のプラクティスは順調でした。クルマの感触は良好で、走り始めからいいペースで走行できました。けれども、その後ギアボックスに小さな不具合が発生し、セッションを早めに切り上げることとなりました。さらに、2回目のプラクティスは3回も赤旗が提示される展開となります。このため、僕たちが行った計測ラップはそれほど多くなく、セッティングを変更しての比較テストを行うのも困難な状況でしたが、セットアップは順調に進歩していきました」「チームはいいムードに包まれていましたが、まだやるべき仕事は残っていました。ところが、土曜日のフリープラクティスではあまりコンペティティブではありませんでした。ニュータイアを履いたときのスピードが伸び悩んでいたのですが、やがて、ニュータイアでのバランスに問題があることに気づきました。というわけで、セッションとしてはいい結果ではありませんでしたが、予選に向けて取り組むべきポイントがわかったことは大きな収穫でした」予選の展開は実にシンプルなものだった。最初のセッションは3番手、2回目は5番手で、最終的には4番グリッドを手に入れた。「おそらく、ベストなバランスではなかったと思います」と佐藤琢磨は振り返る。「でも、Q1とQ2でのパフォーマンスはとても良好でした。接戦でしたが、そのなかでQ3に進出できる充分なスピードを発揮できました。4番グリッドは、チーム全員が頑張って手に入れた結果です。2列目からスタートできることは素晴らしく、僕はこの結果に満足していました」スタート直後に佐藤琢磨はウィル・パワーを捉え、ダリオ・フランキッティとライアン・ハンター-レイに続く3番手に浮上した。「僕はライアンの直後につけると、スタートでウィルをパスしました。僕以外の上位陣はみんな柔らかめのレッドタイアを履いていたので、これは嬉しい展開でした。ブラックタイアを履く僕が、もしもレッドタイアを装着したライバルたちと同じペースで走れれば、彼らはいずれブラックタイアに履き替えることになるので、僕たちの作戦は大成功だったことになります。だから、スタートで順位を落とさなければそれでいいと思っていましたが、ひとつ順位を上げられたので期待以上の展開でした!」「ダリオが徐々に引き離していくのが見えましたが、僕はライアンに抑えられていたので、燃料をセーブすることにしました。柔らかめのオルタネーティブタイアを履くドライバーを抜くのは容易なことではありませんでしたが、僕は虎視眈々と機会をうかがっていました。そして、ついにそのチャンスがやってきました。ヘアピンの脱出で彼の出足が鈍ったのです。僕はこのチャンスを見逃さず、プッシュ・トゥ・パスとスリップストリームを使ってライアンを捉えると、ターン1でインサイドに飛び込んで彼を仕留めました」佐藤琢磨がハンター-レイをオーバーテイクしたのは23周目のこと。このとき約3秒だったフランキッティとの差は、数周後には1秒差まで縮まったが、ここで上位陣は続々とピットストップを行った。フランキッティはこのピットストップに手間取って遅れ、パワーはその後のフルコーション中にピットストップを行っていたが、レースが再開したとき、佐藤琢磨はパワーとフランキッティをリードする立場に立っていた。「僕たちのペースは本当に力強く、次第にダリオを追い詰めていきました。さらにメカニックたちがスムーズでとても速いピット作業を行ってくれました。これで僕はトップに立ちました。しかも、ライバルの多くはブラックタイアを装着しているのに対し、僕はレッドタイアに交換したばかりで、次のスティントでもレッドタイアを履いて、そのままフィニッシュまで走りきる作戦でした。だから、これは本当に理想的なシナリオでした」「リスタートで肝心だったのはペースをコントロールすることです。マカオと同じように、僕は数秒ほど後続を引き離してスリップストリームを使われないように注意しました。その後はオルタネーティブタイアを持たせるように丁寧にドライブしました」偶然にも、このとき2番手に浮上したのは、昨年佐藤琢磨が操っていたNo.15のマシーンで、ドライバーはグレアム・レイホールだった。「グレアムが仕掛けてきましたが、僕はすぐにこれに応え、彼とのギャップを保ちました。本当に最高のレースでした。クルマも好調でハンドリングもよく、ドライブが本当に楽しく思えました」レースが残り24周となったときのリスタートでは、周回遅れのチャーリー・キンボールが佐藤琢磨に襲いかかってきたが、直後にウォールと接触したキ...