元F1ドライバーのキミ・ライコネンは、F1ファンが自分のことをそんなに好きな理由がわからないと語る。キミ・ライコネンは、2021年F1アブダビGPで349戦という史上最多出走記録を更新してF1キャリアに幕を閉じた。22歳でザウバーからF1デビューを果たしたライコネンは、F1で最も人気のあるドライバーの1人だった。
2002年にマクラーレンに移籍したキミ・ライコネンは、当時チームプリンシパルだったロン・デニスから「アイスマン」というニックネームを付けられた。「なぜ彼らが僕を好きなのかわからない」とキミ・ライコネンは語った。「僕がありのままだからかもしれないね。変わっているというか、奇妙と言うか、何とでも呼んでいいよ!」「それは僕にとっては普通のことだけど、外から見れているみんなにとってはそうではないかもしれない」「でも、ほとんどの場合、自分のやり方で思うがままにやってきた」「あちこちで別の方法でやらなければならないこともある。もちろん、最初は難しい。彼らは型にはめようとするからね。でも、従わなければ、彼れは変えようとするのを諦めるものだ」キミ・ライコネンは、メディアやプロモーション活動など、F1レース以外のファンではなかったが、別の人物になるのではなく、自分自身に忠実であり続けたことに満足していると語る。「たぶん『彼にはやりたいようにやらせるのがベストだ』と言わせた方が楽だ。初めのうちに戦っておいて良かったよ。その方がはるかに楽だからね。後から他の誰かになろうとするのははるかに難しい」「しばらくは、人から求められることしたり、人から求められるような人になることはできると思う。でも、長期的にはあまり良いことではないし、健康的でもないと思う」キミ・ライコネンは、ロータス時代の2012年のF1アブダビGPでF1復帰後初優勝を達成。しかし、優勝と同じくらいに話題になったのが、レース中に国際放送で流れたライコネンがエンジニアと交わした無線のフレーズだった。『Leave me alone, I know what I'm doing』(ほっといてくれ、自分がやるべきことはわかっている)このフレーズはフィンランドで最も有名なフレーズの1つになり、帽子やTシャツに印刷された。メッセージへのリアクションは気になったかと質問されたキミ・ライコネンは「ノー。まったく気にならなかった」と答えた。「最終的に僕たちはレースに勝った。そして、そこにいた人々は実際に何が起こったのかを知っている。そこから一つのことを取り上げて、あれこれするのは簡単なことだ」「結局、レースで勝つということは、金曜日から日曜日までの長いプロセスだ。良いことも悪いことも、どちらにしても僕には何の感情もない」2007年のF1ワールドチャンピオンであるキミ・ライコネンは、F1で通算21勝、103回の表彰台でキャリアを終えた。
全文を読む