ヴィタリー・ペトロフは、2010年にレースエンジニアを務めていた元マクラーレンのレースエンジニアであるマーク・スレイドに子供のように扱われいると感じていたと述べ、旧所属チームであるロータス・ルノーGPを批判した。ロータス(旧ロータス・ルノーGP)は、2011年シーズン終了後にヴィタリー・ペトロフを放出し、キミ・ライコネンとロマン・グロージャンという完全に新しいドライバーラインナップを採用することを選んだ。
キミ・ライコネンは今季、マクラーレン時代に良い関係を築いていたマーク・スレイドをロータスで再びレースエンジニアに起用している。今季ケータハムに移籍したヴィタリー・ペトロフは「2010年、僕はチームと問題を抱えていたし、マーク・スレイドと争っていた。彼はとてもクレバーなエンジニアだけど、関係は良くなかった。彼は20年の経験があるので彼らは彼を高く買っていたし、子供のようだった。彼がウィンドウに入れろと言えば、ウィンドウに入れなければならなかった」とコメント。「僕は彼を尊敬していたし、常に彼の言うことを聞いていた。彼が言うときは頑張った。でも、僕は間違っていた。僕には自分の感覚があったし、もっとアグレッシブにすべきだったけど、自分が間違ったことを言うのではないかと気をつかっていた」ヴィタリー・ペトロフは、エンジニアを小松礼雄に交代した2011年には状況は改善したと述べた。「シーズンのスタートは良くなかったし、ちょっと衝突もあったので、彼らは関係を変えることに決めた。2011年は完全に異なっていた。新しいエンジニア(小松礼雄)は友人のようだった。マシンを落ちた後に彼を見ることがあったけど、彼は理解してくれていたので何も言う必要はなかった」ロータスのチーム代表エリック・ブーリエも、昨年チームがペトロフの日課を管理しなければならなかった反にを明らかにしていた。「彼には、説き伏せて、トラックでの振る舞い方を教え、何時に起き、朝食をとり、一日を管理し、時間通りに会議に出るなど案内する誰かが必要だった」ヴィタリー・ペトロフが元チームを批判したのは今回が初めてではない。昨年のアブダビGP後に、ヴィタリー・ペトロフは、ロシアのテレビ局に対し、チームの戦略の弱さとマシンの開発不足について批判している。「残念ながら、僕はチームについて悪くは言えない。契約に書かれているからね」とヴィタリー・ペトロフは述べていた。そのことは、ヴィタリー・ペトロフが2012年の契約を結んでいたにも関わらず、チームが彼を保持しないことを決めた理由のひとつだと推測されている。
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