長渕蓮が、レーサーを引退し、ミュージシャンとして活動していくことを発表した。長渕剛の次男・長渕蓮は、2012年にフォーミュラ・ピロータ・チャイナに参戦。「やっぱり(F1に)乗りたいです。理想のレーサーはフェルナンド・アロンソです」と述べていた。2013年からFormula Toyota RacingからF4に参戦していたが、2014年の6月に開催された86/BRZレースでクラッシュ。その後のレースを欠場していた。
長渕蓮は、自身のTwitterでレース活動を引退し、ミュージシャンとして活動していくことを発表した。長渕蓮いつも、長渕蓮を応援してくれる皆様へ今日はご報告があります。今まで必死に続けてきたレース活動ですが、去年7月の事故により、腰椎損傷が思った以上に深く、それ以降、レースに出場することが出来なくなってしまいました。治療もありとあらゆることを試みました。レーシングチームの人より福岡にドライバーの身体を専門に診ているという先生を紹介してもらい福岡にまで脚を伸ばして治療にあたりました。未だに治療は続けている状況です。が、フォーミュラカーのシートに身を埋め、時速250キロで長時間走り切ること、身体にのしかかる遠心力に耐えること、それら基本的に耐えられる身体に回復しないことを否応なしに感じています。その現実が襲いかかってきたのが昨年7月の豪雨の中のクラッシュです。トヨタ若手育成チームに選抜されながら自分の方向性とは真逆な現実を突き付けられました。悔し涙に明け暮れた半年間でした。正直、僕は車の世界だけを見つめていたからです。しかしそこから自問自答を繰り返す日々が始まりました。自問自答を繰り返すことによって自分の苦悩と対話し自分の感じた苦しみや悲しみ、喜び、そんな多くの言葉をノートに書き綴っていました。僕はかつて7歳からギターを習い始め、カートの時代もフォーミュラの時にも、傍らにはギターがありました。イギリスに渡った時もでした。小さいころから傍らにあったギターをもう一度手にとり、それらを歌にする毎日を送ってました。詩が、メロディが僕の痛んだ傷口を和らげてくれました。それは自分でも不思議な感覚でした。落ちていた心が少しずつですが歌うことによってほんとに少しずつですが前向きになっていくのがわかりました。僕は昨年から本格的な歌を作り始めました。子供の頃からギターが傍らにあったことに感謝しています。そして、僕は、モータースポーツから離れ、ギターを手に音楽に集中しようと決めました。まだまだ稚拙ではあるけれどこの思いは揺るぎないものへと変わりつつあります。車以上に、いばらの道であることはわかっています。皆さんにこの報告は突然なことでただただ驚愕な思いだと思います。しかし身体を壊してしまったこと、このような形でレース活動を終えてしまったことに僕に後悔はありません。むしろここまで来られたことに感謝しています。僕は本当にたくさんの方に支えられていて、感謝の気持ちで一杯です。これからは、僕を支えてきてくれた皆様に別の形で恩返しが出来るように、今までと変わらず応援をしてもらえるよう努力していきます。今まで応援して下さった皆様、本当にありがとうございました。そしてこれからも長渕蓮をどうぞ見守ってください。
全文を読む