F1が2018年から“グリッドガールを廃止する”と発表し、日本における“レースクイーン”にも波紋が広がっている。F1では伝統的に各国の美女たちがドライバーのネームボードを持ってグリッドに花を添えてきた。しかし、近年ではグリッドガールが女性差別を助長するとして廃止を求める声が高まっており、昨年、F1の新オーナーであるリバティメディアは、グリッドガールが“デリケートな話題”であり、“要検討”事項だとしていた。
そして31日(木)、F1は公式サイトでグリッドガールの廃止を正式発表。「この慣習は我々のブランドバリューにそぐわないものであり、また、明らかに現代の社会規範に反している」と廃止の理由を説明した。このニュースは、日本でも取り上げられ、大手新聞社やワイドショーは“F1がレースクイーン廃止”と報じ、“女性差別”“女性蔑視”をテーマに日本におけるレースクイーンやコンパニオンの存在にも焦点があてられた。厳密に言えば、“グリッドガール”と“レースクイーン”はニュアンスが異なる。F1での“グリッドガール”はレース主催者から雇われているもので、タイトルスポンサーのコスチュームや各開催国の民族衣装などを着用。グリッドで傘やドライバーのネームボードを持ち、ドライバーが表彰台に向かう際に歩く廊下に並んで華やかな雰囲気を作り出している。実際に2017年のF1日本GPでグリッドガールを務めた佐崎愛里さんは「レースクイーンの文化は日本で1番発展したものだから海外のグリッドガールのポジションとレースクイーンの違いを理解してはいないのかもしれないけど…」と前置きした上で「F1のグリッドガールを昨年やらせて頂いたけど、"その国代表としての誇りを持って歩きなさい"と礼儀や振る舞いを大事にした素敵なお仕事だったよ。F1のグリッドガールを指揮するポジションにも大会本部の周りにビシッと指導する女性が活躍されていたけれど、活躍できる場は男も女も関係なくそれぞれに合った場所があると思う。女性蔑視と過剰に反応する方が男女を差別した目で見てるんじゃないかと思ってしまう…」とTwitterで述べた。佐藤さんが言うようにレースクイーンの文化は日本特有のものと言える。海外のF1のグリッドガールはピットレーンやパドックでファンと触れ合うことは少ない。一方、日本のレースクイーンはチームが“レースクイーン”を採用し、企業のキャンペーンガールの役割もかねて集客に大きく貢献している。ファンと触れ合う機会が多く、サーキットにもレース観戦だけでなく、お気に入りのレースクイーンと会い、写真を撮るために訪れるファンもたくさんいる。サーキットへの来場者数に貢献している部分も少なからずあるだろう。ただし、望遠レンズでレースクイーンのきわどい写真を狙う“カメラ小僧”に批判的な声が多いのも事実だ。昨日のニュース後、女性蔑視や女性差別といったテーマとは別に、モータースポーツ関係者のなかには“グリッドガールとレースクイーンは別物”と論じる意見もあった。当サイトでも“レースクイーン廃止”との報じられ方に違和感を感じて、その違いを明確にしようと感じたのは事実。廃止されるのはF1のグリッドガールであり、日本のレースクイーンではないとの趣旨ではある。だが、一晩経ち、グリッドガールとレースクイーンを区別して考えるのも違うような気がしてきた。レースに華を添えるという点では、グリッドガールもレースクイーンも役割は同じ。レース主催者に雇われて各国の代表として民族衣裳を身に着けているグリッドガールを女性蔑視とするべきではないと区別する時点でそこにすでに差別意識があるのではないだろうか? ソーシャルメディアの意見を見ると、大多数はどちらも女性蔑視だとは捉えていない。最後にTEAM IMPUL Race QueensとしてSUPER GTやスーパーフォーミュラで活躍する陽菜みなみさんのブログでのコメントを紹介したい。「グリッドガール、レースクイーンはみんなやりたくて、オーディション受けて、選ばれてやってます。みんな、レースクイーンという職業に誇りを持って頑張ってます。もちろん、レースクイーンに憧れを持ち、目指している女の子もたくさんいてます」「なくなる なくならないは別としてRQやグリッドガールに限らずコンパニオンやラウンドガールなどにも同じことが言えると思いますが、自分たちが誇りを持ってやっていることに対して周りが『女性蔑視だ』というのはおかしい話です。美を売りするレースクイーンを廃止するのは女性差別じゃなくて職業差別。F1のグリッドガールはその国の文化を表現するのに必要不可欠な存在だとおもいます」「もちろん、私もまだまだ一年目ですがレースクイーンがあったからこそモータースポーツのことを知ることができたしレースの華としてマナーや立ち振る舞いたくさんのことを学ばせていただきとても素敵な職業だと思います」