ホンダF1とのパートナーシップが失敗していたときにマクラーレンに加入し、後にF1チームの指揮を執ることなったザク・ブラウンは、当時のチームの状態は「思っていたよりも酷い」ものだったと振り返った。ザク・ブラウンは、2016年11月にマクラーレン・テクノロジー・グループの前会長であるロン・デニスによって採用され、エグゼクティブディレクターに任命された。ちょうどマクラーレン・ホンダのプロジェクトの2年目が終了するときだった。
しかし、ロン・デニスがマクラーレンから追放されて事業が再編された後、ホンダとのパートナーシップが解消された2018年にザク・ブランは、マクラーレン・レーシングの最高経営責任者になり、グループの株主からチームを好転させるための完全な手綱を与えられた。内部組織の欠如とホンダとの不運なパートナーシップに悩まされていたマクラーレンにかつての常勝チームの面影はなかった。F1で2番目に成功したチームの指揮をとった初期の頃を振り返り、ザク・ブラウンは、マクラーレンは想像していたよりもはるかに悪い状態にあったことを認める。「環境、起こっていたことは、思っていたよりも酷いものだった」とザク・ブラウンはFOX Sportsに語った。「私はマクラーレン史上最悪の年に参加した」「我々は苦労したホンダとの関係の2年目にいたが、論理的には3年目の方が2年目よりも優れたものなると言えるだろう。だが、実際には逆のようなものになっていた」「ホンダのすべてではなかったと思う。環境全体だった。すでに何かがリバウンドしていると思った。そして、私が理解したのは、実際にはまだダウンしているということだった」「それは驚きだった。だが、このチームが勝ったレースの数、このチームが勝ったチャンピオンシップの数を考えると、ここにはたくさんの才能があることを私は知っていた」「しかし、ここにいた才能、今もここにいる才能を解き放つためには、新しい方向性とリーダーシップを必要としていたのかもしれない。それは素晴らしい旅だった」元ポルシェLMP1のボスであるアンドレアス・ザイドルのマクラーレンへの加入や技術部門の変革など、マネジメント構造が変更された後、マクラーレンはゆっくりと修復し始めた。ザク・ブラウンの指導とビジョンの下で、マクラーレンは徐々にF1のミッドフィールドのトップに戻り、2020年にコンストラクターズランキングで3位に終わり、ダニエル・リカルドがモンツァでのF1イタリアGPで優勝したおかげで、最終的に昨シーズンのウィナーズサークルに戻った。しかし、並行して、チームの姿勢もザク・ブラウンの下で進化し、ロン・デニスによって植え付けられた厳粛で落ち着いた雰囲気を脱ぎ捨て、明るく輝く新しいムード、ある種の「文化的」変化をもたらした。「文化的な面では、我々は楽しんでいる」とザク・ブラウンは語った。「レースを楽しんでいるなら、どうしてレースに行くのを楽しむことができないのだろうか? 勝てないのは楽しいことではないがね」「しかし、楽しんでいるなら、人々は信頼していて、彼らはより一生懸命仕事をする」「これはハードな仕事だ。楽しい仕事だが、ハードな仕事だ。コミュニケーションが悪く、信頼が低かった。ありとあらゆる文化が問題だった。それは1つのことだった」「その後、技術的な問題が発生した。風洞は時代遅れで、新しい風洞が入り、シミュレーターが古く、製造施設が少し時代遅れのものになっていた」「文化的に、我々は素晴らしい場所にいなかったし、チームはチームとして、単一のユニットとして運営されていなかった。そして、技術的には、我々は投資の一部に遅れをとっていた」「したがって、これらの2つのことが私が着手した変化であり、これまでのところ、とても良いが、我々はまだ私たちが望んでいる場所にはいない」ザク・ブランは、マクラーレンを新しい時代に導き、チームがその変革を遂げるのを見るのを楽しんでいるが、それは困難な仕事であったことを認める。「私はそれを楽しんでいるし、モンツァで最初の勝利を収めたとき、その瞬間までにすべての血と汗と涙が流れていたので、それをより楽しいものにしたと思う」とザク・ブラウンは語った。「スパでランドはおそらくポールに立っていただろう。だが、実際にレースをすることにないレースで勝つことが我々の最初の勝利になるのは嫌だった」「だから、モンツァという象徴的なトラックでの1-2でフィニッシュ。スタートでリードを奪い、決して振り返ることはなく、レースで最高のピットストップ、レースで最速のラップ、すべてが一緒になった。それは非常に満足感が得ることができた」