ケビン・マグヌッセンは、レッドブルのF1チームで走るポテンシャルがあったことを明かしたが、レッドブルの姉妹チームであるトロロッソへの移籍は拒否した。ケビン・マグヌッセンは、おそらく最後のF1シーズンを終えたが、ダニエル・リカルドが2014年にセバスチャン・ベッテルとレッドブルで走るためにシートを空けた際、現在のレーシングブルズへの移籍のオファーがあったと語った。
しかし、マクラーレンでのドライブを選び、その年、チームでデビューを果たした。メルボルンでの初グランプリで、皮肉にもリカルドの失格処分により繰り上がり、センセーショナルな2位入賞を果たした。レース後、マグヌッセンは「よし、僕の最初の年に世界タイトル獲得の戦いが始まった」とMotorsport-Totalに語り、ドライバーズタイトル獲得を確信していた。「そう、本当にそう思ったんだ」とマグヌッセンは振り返る。実際には、トロ・ロッソよりもはるかに速いマクラーレンへの移籍は賢明な選択だったが、1シーズン後、マグヌッセンはジェンソン・バトンとコンビを組むフェルナンド・アロンソに取って代わられ、チームを去ることになった。マグヌッセンは、マネージャーがレッドブルのチーム代表であるクリスチャン・ホーナーと話し、トロ・ロッソで走る可能性が明らかになったが、その移籍は却下したと主張している。「僕は『いや、いや、それはしない』と言った。おそらくそうすべきだったと思う」とマグヌッセンは語った。マグヌッセンは、今になって振り返ると、おそらくその移籍は有益だったかもしれないとほのめかしている。「レッドブルのシートを手に入れたのはガスリーだった。アルボンはフォーミュラ2からトロロッソに昇格した」「その後、ガスリーはうまくやれず、アルボンが移籍した!トロ・ロッソのシートを手に入れた男がレッドブルで走ることになった」初めてのグランプリで表彰台に上った後、マグヌッセンはタイトル争いに加わっていると信じていた。ハースでの在籍とスポーツカーの未来しかし、2016年にマグヌッセンはルノーへ移籍し、7ポイントしか獲得できなかった悲惨なシーズンを過ごした。2017年、マグヌッセンはキャリアの残りを過ごすことになるハースへ移籍した。再び表彰台に上ることはできなかったものの、マグヌッセンはアメリカチームがF1の一員として確固たる地位を築くのに貢献した。マグヌッセンは2020年末にハースを離れ、キャデラック・チップ・ガナッシの一員としてIMSAスポーツカー選手権に参戦し、DPiクラスで7位、1勝、トップ3フィニッシュ4回という成績を収めた。F1でのキャリアが終わりを迎えたかに見えたマグヌッセンだったが、ハースは土壇場でニキータ・マゼピンに代わる2022年のドライバーとして彼と再契約した。2度目のカーテンコールを終えたマグヌッセンは、2025年にスポーツカーレースに復帰し、BMW Mモータースポーツのワークスドライバーとして来月のデイトナ24時間レースに参加する。