ホンダF1のマネージングディレクターを務める山本雅史は、最も苦しかった時期として017年の第2戦バーレーンGPとその後のマクラーレンとの“既婚協議を挙げた。2015年にマクラーレンのワークスパートナーとしてF1復帰したホンダF1は、2021年のF1アブダビGPでのラストレースでタイトルを獲得して、7年、141戦の第4期のF1活動に終止符を打った。
「ホンダは、高度なハイブリッド技術を使用した新パワーユニット(PU)レギュレーションの導入に伴い、2015年からPUサプライヤーとしてF1に復帰し、トータルで7シーズン、141グランプリを戦ってきました」と山本雅史はHonda Racing F1のコラムで振り替えた。「141戦を振り返ると、本当にいろいろなことがありました。ほかのライバルに比べると短い開発期間だったこともあり、参戦当初のマクラーレンとのパートナーシップ時には非常に苦戦し、どん底と呼べるような時期も味わってきました」「この当時のことをよく質問されますし、今考えても、私自身も、そしてエンジニアたちも非常に苦しい時間を過ごしてきましたが、一方でこのときに学んだ多くのことがベースになって、今回のチャンピオンシップ獲得にまで至っていると思っています」「マクラーレン・ホンダという偉大な名の下で開始したプロジェクトでしたので、皆さんだけでなく我々もマクラーレンも、大きな成功を夢見ていました。その名前の大きさゆえ、互いに『Hondaならできる』『マクラーレンならできる』といった形で、双方の実力を信頼しすぎた、リスペクトしすぎた部分があり、それゆえ前進していくための十分なコミュニケーションが足りていなかったのではないかというのが、プロジェクトがうまくいかなかったことに対する私の実感です」「ホンダとしても技術的な面で準備不足な点が多くあり、そのためにドライバーやチームに多くの迷惑をかけたことも事実です。もう少し上手くできた部分があったのかもしれないとも思いますが、そういった中でもホンダらしいなと感じるのは、苦しい状況にもかかわらずエンジニアたちが前を向き、失敗から多くのことを学んだ上で、その後様々な技術的なブレイクスルーを果たし、世界のトップにまでたどり着いた点です。彼らの成し遂げてきたことを思うと非常に誇らしく、そして胸が熱くなります」「私がインタビューで最も苦しかった時期は?と聞かれると、迷うことなく『MGU-Hのトラブルが続いた2017年の第2戦バーレーンGP、そしてその後から夏まで続いたマクラーレンとの離婚協議』と答えます」「ただ、実はエンジニアリングの観点では、その年の夏あたりには、オンダのPU躍進のコアとなった燃焼技術『高速燃焼』の手がかりのようなものが見つかっていました。高速燃焼は、偶然の中から生まれたごくわずかなデータの変化をエンジニアが見逃さず、それをきっかけに研究開発が始まりました]「事象を発見した後にも、じゃじゃ馬のように扱うことが難しい燃焼でしたので、一筋縄ではいきませんでしたが、浅木(PU開発責任者)の指示の下、数々の試行錯誤と高度な制御によって手なずけ、2018年の後半にはレースで実用できるまでに至りました」
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