現代のF1は極めて高い安全性を実現していると言われるが、ドライバーはどのような装備やマシン構造に守られているのだろう?“Motorsport is dangerous(モータースポーツは危険です)” — この言葉はガレージに出入りする全員が携帯するパドックパスやファンたちが手にするチケットにも記されている。
この危険を少しでも取り除いていくことが毎年変わることのないF1の課題だ。極めて高度とされる現代F1の安全性は、重層的で多世代に渡る取り組みの上に成り立っている。時速300kmでクラッシュに巻き込まれた直後のドライバーが観客へ手を振り、メディアの取材に応じる姿に我々は慣れきっている。あまりにも日常的な光景と化しているがゆえに、深刻なアクシデントが起きればいっそうショッキングに受け止められる。現状の安全対策に甘んじるなと言わんばかりに、そのような重大事故は今も十分な頻度で起きている。F1は世界最高峰のモータースポーツという地位を活かし、安全性への総合的な取り組みを促進している。F1は安全装備を手掛けるメーカーやF1開催サーキットへ安全性のさらなる向上を働きかけながら、定期的にルール改訂を実施してマシンとレース運営の安全性をさらに高めている。その目的は、マシン / 装備 / レース運営 / サーキットなどのあらゆる分野が連携して機能する重層的セーフティネットの実現だが、各分野にはクリアしなければならない独自の項目がある。F1における安全性向上のためのリサーチの大半には日が当たらない。安全対策が問題なく機能している間は注目されないからだ。そこで今回は、F1の高度な安全性を支える装備やマシン構造にスポットを当てていく。【ドライバーの安全装備】ヘルメットヘルメットはF1初の安全装備だが、長い年月をかけて数多くの進歩を果たしてきた。FIAが定める最新ヘルメット規格【8860-2018】は2019シーズンから準拠が義務付けられている。この規格で重点が置かれているのは使用素材よりも、デザインが認可されるために必要な一連の試験で、衝突保護 / 圧搾保護 / 耐貫通 / 浸漬 / アタッチメント類の機械的強度 / 難燃性など様々な分野が含まれている。2009シーズンのハンガリーGPで起きたフェリペ・マッサの事故 — この事故では間違いなくヘルメットが彼の命を救った — を受けて安全基準が引き上げられ、バイザー上部にザイロン製パネルの装着することが義務づけられたが、現行の【8860-2018】規格ではバイザー上部にあった保護構造がヘルメット内側へ移動し、バイザー開口部が狭められている。さらに、【8860-2018】規格は状況ごとの耐衝撃性の向上も求めている。近年は衝突試験の速度が高まり続けているが、新規格は低速度での衝突試験も規定している。ヘルメット帽体に用いられる素材は低速度の衝撃が加わると異なる反応を示すからだ。また、側面からの衝撃が加わった場合にヘルメットがコックピット周囲の安全装備と連携して機能するように、現在は側方衝突試験も新たに実施されている。グローブFIAメディカルカーのドライバーを務めるアラン・ファン・デル・メルヴェとFIA救急医療コーディネーターを務めるイアン・ロバーツ医師が、現在F1ドライバー全員が装着している生体計測グローブを開発したあと商用化のためにSignal Biometricsを共同設立した。この生体計測グローブが開発される契機となったのは、2015シーズンのロシアGPで起きたカルロス・サインツのクラッシュだった。サインツのマシンはTecPro製バリアに埋まる形でクラッシュしたため、デブリを排除するまで救急医療クルーたちはドライバーの状況を確認できなかった。現在は、グラベルでマシンが転覆する、マシンがタイヤバリアに埋まる、複数のマシンがアクシデントに巻き込まれるなど、ドライバーの元へすぐに向かえない状況では、グローブから送信されるデータが緊急医療クルーにドライバーの容態を伝える。血中酸素濃度を計測する光学センサーが生体計測グローブの核となるテクノロジーで、産業用グレードのBluetooth(汎用Bluetoothより通信距離が長く、より堅牢な構造となっている)経由でデータを送信する。この生体計測グローブの登場により、救急医療クルーはドライバーの呼吸を非接触モニタリングして救出作業を策定できるようになっている。レーシングスーツドライバーが身を包むレーシングスーツは難解な課題だ。レーシングスーツに求められる第一の機能は当然ながら耐火性能だが、同時にドライバーは軽量で通気性を備えたレーシングスーツを必要としている。しかし、着心地だけがその理由ではない。ドライバーはレーシングスーツに身を包んでコックピットで長時間を過ごすが、コックピット内の気温や外気温が非常に高くなる場合も少なくないため、疲労や脱水症状に見舞われるリスクが高いからだ。そして、このような症状に陥ればドライバーのメンタルが低下してしまう。混沌としたサーキットでコンマ数秒の決断を下さなければならない状況でこれは命取りになる。2020シーズンに義務付けられたFIAの最新衣料用規格【8856-2018】は、レーシングスーツだけでなくブーツやグローブ、バラクラーバ、アンダーウェアを含むあらゆる装備品が準拠しなければならない。【8856-2018】規格は、従来の高密度素材から僅かな軽量化が実現できるより軽量でタイトなフィッティングの素材への移行を明確に示しており、伸張時での試験を含む厳格な熱伝導指数(HTI)試験をクリアできる軽量な人工繊維(Nomexなど)を素材に指定している。HANSデバイス20世紀末までのレーシングドライバーの死因の多くを占めていたのが、正面衝突で頭蓋底部の複数の骨が損傷してしまう頭蓋骨骨折だった。HANS(Head and Neck Support)デバイスの登場は、このような損傷の発生をほとんど一夜にしてゼロにした。2001年にFIAの認可を受けたHANSデバイスは2002シーズンからF1に採用され、2003シーズンに装着が義務付けられた。1994シーズンのイモラでローランド・ラッツェンバーガーを襲った類いの頭蓋骨骨折はシートベルト装着の望ましくない弊害と言える。正面衝突では、ショルダーベルトがドライバーの胴体を押さえつける一方、押さえつけられていない頭部は前方へ突き出されてしまう。シートベルトが肩を後方・下方へ押さえているのに頸部だけ伸ばされてしまうので、頸部が繋がっている頭蓋骨と肩に負荷がかかる。何らかの対策が必要なエリアであり、頭蓋底部はウィークポイン...
全文を読む