F1マシンをかつて彩ったタバコ会社のスポンサーシップを特集第2弾。1968年にインペリアル・タバコのゴールドリーフがロータスのF1マシンを赤・白・金に塗装するまで、F1マシンは、ナショナル・レーシングカラーだった。その後はスポンサーカラーへの移行が進むことになり、何十年もの間、タバコ産業はスポーツへのスポンサーにおいて主役を演じていた。
マールボロの親会社であるフィリップ モリスは、フェラーリを実質的に支援してはいるものの、2008年以降、タバコ広告はF1から完全に姿を消した。ウエスト(West)80年代にザクスピードのメインスポンサーを務めたウエストは、マールボロが1996年末で離れたマクラーレン・メルセデスのメインスポンサーになり、2005年までとどまった。ミカ・ハッキネンは、1998年と1999年にドライバータイトルを2連覇。デビッド・クルサード、キミ・ライコネン、ファン・パブロ・モントーヤもウエストの露出に貢献した。ヨーロッパにおけるタバコ広告が禁止になった2005年7月31日にウエストはタイトルスポンサー契約を終了した。ロスマンズ(Rothmans)鮮やかな青/白のカラーリングは、ヨッヘン・マスとラウル・ボーセルが駆るマーチのスポンサーを務めたが、ノーポイントに終わり、ロスマンズは撤退。1994年にウィリアムズ・ルノーのスポンサーとしてF1に復帰する。その年のイモラでのアイルトン・セナの悲劇的な事故のマシンのラーリングだった。だが、1996年と1997年にデイモン・ヒルとジャック・ヴィルヌーヴがワールドチャンピオンを獲得して、スポンサーシップは多くの成功を収めた。ウィンフィールド(Winfield)ロスマンズの姉妹ブランドであるウィンフィールドは、1998年と1999年にウィリアムズのマシンを赤く彩った。まだ、1998年にルノーがF1から撤退し、型落ちのカスタマーエンジン(スーパーテック/メカクローム)によって低迷。コラボレーションも2年で終了する。ベンソン&ヘッジス(Benson & Hedges)ベンソン&ヘッジスは、ジョーダンのイエローのカラーリングは完璧にフィットした。ハイライトは、雨となった1998年のF1ベルギーGPでの1-2フィニッシュと、1年後にハインツ=ハラルド・フレンツェンがチャンピオン争いに絡んだことだ。ジョーダンは、チームがロシアのミッドランドの手に渡る2005年までイエローのカラーリングのままだった。キャメル(Camel)印象的なブラック&ゴールドの後、キャメルのおかげで、ロータスは1987年から明るいイエローに変わる。アイルトン・セナは、ホンダを搭載した1987年に3勝を挙げたが、その後、チームはゆっくりと沈んでいく。キャメルは1990年までロータスオンスポンサーを務めていたが、その間、ティレル、ベネトン、そして、後にウィリアムズの共同スポンサーとなる。
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