F1マシンをかつて彩ったタバコ会社のスポンサーシップを特集する。1968年、ロータスはF1チームとして初めてF1マシンを完全にタバコのカラー、インペリアル・タバコのゴールドリーフの色で塗装した。それ以降、F1マシンのカラーリングは、ナショナル・レーシングカラーからスポンサーカラーへの移行が進むことになり、何十年もの間、タバコ産業はスポーツへのスポンサーにおいて主役を演じていた。
マールボロの親会社であるフィリップ モリスは、フェラーリを実質的に支援してはいるものの、2008年以降、タバコ広告はF1から完全に姿を消した。ゴールドリーフ(Gold Leaf)ゴールドリーフは、F1をスポンサードした最初のタバコ会社。1968年のロータス 49はパッケージにちなんだ赤・白・金のカラーリングが施された。ゴールドリーフカーのマシンでグラハム・ヒルはチャンピオンを獲得。2年後には第10戦イタリアGPで事故死したヨッヘン・リンが死後にその年のチャンピオンを獲得している。赤・白・金のカラーリングは1971年が最後となり、翌年からは姉妹ブランドのジョン・プレイヤー・スペシャルに代わった。このスポンサードを機に、F1マシンはナショナル・レーシングカラーからスポンサーカラーへの移行が進むことになった。ジョン・プレイヤー・スペシャル(JPS)ジョン・プレイヤー・スペシャルのブラック・ゴールドのカラーリングはカルト的な人気を誇った。JPSと聞いてタバコではなく、ロータスのF1マシンを連想する者さえいた。1972年にエマソンフィッティパルディがJPSロータス72で最初のワールドチャンピオン獲得し、1978年にはマリオ・アンドレッティは、グラウンドエフェクトカーのロータス79でタイトルを獲得した。その後、JPSは2年半F1を離れていたが、1981年の夏にロータスに戻った。エリオ・デ・アンジェリスとアイルトン・セナも80年代にJPSカラーのマシンで勝利を収めた。1986年の終わりにJPSはF1から撤退した。マールボロ(Marlboro)ほとんどの人が知っているくらい有名なカラーリング。最初はBRM(ブリティッシュ・レーシング・モータース)、続いてのウィリアムズF1の前身であるイソ・マールボロをスポンサードしたのち、1974年から22年間にわたってマクラーレンのスポンサーを務めた。同時に、アルファロメオとBMSスクーデリア・イタリアのマシンも赤・白に塗られた。1996年以来、親会社であるフィリップモリスはスクーデリア・フェラーリと提携し、今日まで数百万ドルをもたらしてる。マールボロほどF1タイトルを祝ったタバコ会社はいないだろう。エマーソン・フィッティパルディ、ジェームス・ハント、ニキ・ラウダ、アラン・プロスト、アイルトン・セナ、ミハエル・シューマッハが赤・白のマシンでタイトルを獲得している、ジタン(Gitanes)リジェとジタンは何年も切り離せない存在だった。1976年から1995年までリジェのマシンにはジプシーが舞う青・白のカラーリングが施された。もちろん、ジャック・ラフィット、パトリック・デパイユ、ディディエ・ピローニといったグランプリウィナー、ジャッキー・イクスといったグランプリウィナーがドライブした。ゴロワーズ(Gauloises)ゴロワーズは1996年にジタンからリジェのメインスポンサーとして引き継ぎ、雨のモナコGPでオリビエ・パニスの驚くべき勝利で比類のないスポーツへの参入を経験した。1997年初頭にアラン・プロストがリジェを引き継いでプロスト・グランプリと改称された後も2000年までメインスポンサーを務めた。
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