14年前の3月29日、現代のF1界に衝撃を与えた出来事があった。オーストラリアで開催された2009年F1世界選手権開幕戦で、新チームであるブラウンGPがワンツーフィニッシュを飾った。本来であれば、ブラウンGPはメルボルンにいるはずではなかった。2008年末にホンダが突然F1への参戦を終了するまで、このチームはホンダのワークスチームとして活動していた。
チームプリンシパルを務めていたロス・ブラウンは、チームを存続させるためにマネジメントバイアウトを主導した。そして、チームの買い手を見つけるには、2009年を成功させることが一番だと考えた。そして土曜日、ジェンソン・バトンがポールポジションを獲得し、これ以上ないスタートを切ることができた。チームメイトのルーベンス・バリチェロが2番手に続き、スポンサーのほとんどついていない真っ白なブラウンGPのマシンがフロントロウをロックアウトした。24時間後のグランプリでは、2人はそのポジションをキープして1位と2位を獲得した。レースはレッドブルのセバスチャン・ベッテルとBMWザウバーのロバート・クビサがクラッシュしたため、セーフティカーが導入された状態で終了した。ヤルノ・トゥルーリは、自身200回目のグランプリ出場で、最後の表彰台を獲得した。1954年にメルセデス・ベンツがフランスでデビューして以来、コンストラクターが初レースでポールを獲得し、そのまま優勝したのは初めてのことだった。バトンはその後も5勝を挙げてタイトルを獲得し、バリチェロはさらに2勝を挙げた。ブラウンGPは2009年のコンストラクターズチャンピオンシップを獲得した。また、2010年のローレウス・ワールド・スポーツ・アワードのチーム・オブ・ザ・イヤーも受賞した。勝利を収めたチームはその後、エンジンサプライヤーのメルセデス・ベンツに買収され、メルセデス・ベンツは次のシーズンである程度の成功を収めた。