角田裕毅が、2021年のF1デビューにむけてアルファタウリ・ホンダF1の公式サイトでロングインタビューに答えた。先週、イモラ・サーキットでアルファタウリ・ホンダの2019年F1マシンで2日間にわたるテストをポジティブに完了した角田裕毅が、モータースポーツキャリア、日本での活動、欧州にわたってからの生活、F3、F2でのシーズンなど様々な質問に答えた。
ジュニアカテゴリーをすばやく移動してF1に到達しましたね。ここに到達するためにどのようなプロセスを踏んできたか説明していただけますか?毎年少しずつ上達していて、出場したすべてのカテゴリーで勝つことができました。それらの勝利は簡単ではありませんでしたし、自信になりました。F3でも勝てるとは思っていませんでした。ヨーロッパに住むのは初めてでしたし、4つのトラックはまったく新しいものでした。ヨーロッパのドライバーの多くはそれらのトラックで多くの経験を積んでいたので、簡単ではありませんでした。トラック、チーム、文化への適応に集中していましたが、やっとモンツァでF3で勝てて、(ヘルムート)マルコ博士はそれに満足してくれました。それがF2に移行することにつながりました。僕にとって昨年は仕事のあらゆる面で大きな進歩を遂げたシーズンでした。まず第一にドライビング面もありますが、レースへのアプローチ方法に関するメンタリティと心理学の観点からも進歩を遂げたと思っています」F2の間に多くのことを改善できたと思っています。非常に成功したシーズンでしたし、僕のレーシングキャリアの中で最高のシーズンのひとつでした。シーズン序盤もすでにペースが良かったですし、強いライバルと競争することができていましたが、シーズン中盤までは一貫性に欠けていました。それによって序盤のレースでは良いポイントを得ることができませんでした。そのあと、シーズン中盤から心理トレーナーと一緒に仕事をして、レースの準備方法やレース中の姿勢など、さまざまな要素について話し合いました。その結果、精神面で大きく向上しました。シーズンの終わりまでには、まだ自分が望んでいた場所にはいませんでしたが、シーズンの序盤から大きく改善しました。コース上での結果は改善し続けました。昨年の初め、例えばルーキーテスト中は、チームメイトと比べてタイヤマネジメントに苦労しましたが、チームと一生懸命に働き、以前のシーズンのレースを見て、より適切に管理する方法を学びました。年末までに全員が費やした努力は報われました。ピレリアワードを受賞したことは、僕がどれだけ進歩したかを示しています。モータースポーツのキャリアの次のステップは簡単ではないことはわかっていますが、待ち切れません。今年、あなたはグリッドで最年少のドライバーであり、唯一の日本人ドライバーになります。それに関連したプレッシャーを感じますか?いいえ、プレッシャーは感じていません。今年は僕のルーキーシーズンですし、できる限りマシンに適応するために序盤からハードにプッシュしていきます。でも、ミスを犯すことを恐れてはいません。もちろん、ミスは少なくするつもりですが、最初は避けられません。昨年のF22で証明したように、ミスから学ぶことができると確信しています。日本のファンのサポートを得ることができて本当にうれしいです。2014年の小林可夢偉以来、グリッドに日本人ドライバーを迎えることができたことを誇りに思っています。プレッシャーについては、自分自身にかけているので、そこに関しては何も変わりません。成功するために自分自身をプッシュしたいと思っています。あなたのお父さんがメカニックだった日本での始まりとカート時代に戻りましょう。僕が14歳か15歳くらいまで、父が簿育のメカニックでした。これまでの成功のすべては彼に感謝しなければなりません。彼は僕がより良いドライバーになるのを助けてくれました。彼が僕に最も教えてくれたのはブレーキングでした。特にブレーキをかける方法とタイミングです。彼はコーナーに入るにはブレーキが非常に重要であり、それがマシンを回転させることができ、他の人よりもマシンを回転させることができれば、他の人よりも早くスロットルを再び踏めることを教えてくれました。僕はカートでそれをたくさん練習しました。自信が持てるようになり、今でも学んだことを生かしています。日本からヨーロッパへの移住は文化の大きな違いです。ヨーロッパでの生活の中で最も適応しにくい側面は何だと思いましたか?食べ物ですね! それと言語です。最初にヨーロッパに来たとき、みんながフランス語を話すスイスに住むのは簡単ではありませんでした。また、食べ物もそうです。僕は食べ物が本当に好きですが、食事を変える必要がありました。僕は一般的に寿司と日本食が好きです。少しストレスを感じました。新しい生活は人生を少し難しくしましたが、チームと僕のトレーナーはそれを大いに助けてくれました。最終的には適応できましたし、今いる場所に満足しています。あなたのキャリアの中で最高の瞬間と最悪の瞬間を説明していただけますか?最悪だったのは2016年ですね。ホンダジュニアドライバーテストで3位になりました。通常、ホンダは最初の2人のドライバーをF4に移行させます。僕は父とテストについて話し合っていたので、うまくいかなければレースをやめると決めていました。でも、担当は元F1ドライバーの中嶋悟さんでした。彼はシケインの外から見てくれていて、彼が僕をホンダに勧めてくれました。それで僕はホンダとF4を走ることができました。だから、それは彼のおかげです。最高の瞬間は2019年のF3でのモンツァでした。あの勝利がなければ、翌年のF2にはいなかったと思います。ヨーロッパでの初優勝だったので、その日にはたくさんの幸せな思い出があります。今、あなたは20歳でF1でレースをすることになっています。10年前に戻ることができたら、若い自分にどのようなアドバイスをしますか?他のことに気を取られることなく、僕がしたよりも早くレースに全力を注ぎ始めるように言うと思います。僕は16歳になるまで、レースにそれほど興奮していませんでした。好きじゃなかったわけではありませんが、やるべきことほどの努力はしていませんでした。レーストラックから離れた角田裕毅はどんな人ですか?普通の20歳の男の子です。ゲームが好きです。レースをしていないときは、日本の友達とゲームをしています。エーペックスレジェンズやコール・オブ...
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